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日本の焚刑
日本では古代、絞(絞首刑)・斬(斬首刑)・焚(焚刑)の3種の死刑が執行されていましたが、中国の律令を導入するにあたり、焚刑は廃止されました。古代、焚刑が実際に行われた事例を教えてください。
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雄略天皇の妃となる為、百済から来日した池津媛が姦通の罪を犯したとして、火刑に処されていますね。 →日本書紀より。 雄略天皇は、軍事的才覚により中央集権化を進めた偉大な天皇なのですが、少々残酷・冷酷な面もあり、日本の公的な記録上の最初の死刑を乱発しています。 (5世紀後半に宋と関係を持った倭王武と目されている。) 因みに天孫降臨の瓊瓊杵の妻[木花之佐久夜毘売]も姦通を疑われ、産屋に火を放って亡くなっていますので、古代では姦通は火刑との認識があったのかもしれません。
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- oska2
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>古代、焚刑が実際に行われた事例を教えてください。 古代の記録は、藤原不比等・持統天皇一族によって都合の悪い事象は削除されています。 削除した偽書?が「日本書紀」らしい・・・。 例えば、八百万の神々を祀っていた神道を廃止して「アマテラス神を頂点とする新神道」を強要しました。 ですから、歴史上に「もし」はありませんが・・・。 持統天皇が殺害を命じた、天武天皇が次期天皇と指名した大津皇子が見せしめに火あぶり?との逸話もあります。 ※持統天皇は、わが子の草壁皇子を天皇にしたかったので(藤原不比等と組んで)天武天皇崩御の後に大津皇子を虐殺。 記録に残っている焚刑の最初は、北畠信雄(信長の次男坊)が行った火あぶりですね。 江戸時代では、アカネコ(放火など)重犯罪者は火あぶりでした。 有名な火あぶりは、「大塩平八郎の乱」で有名な、大塩平八郎ですかね。 幕府との戦いに敗れた大塩平八郎は、自爆します。 が、幕府の怒りは収まらなかったようで「遺体を探し出して、再度火あぶりの極刑」を飛田刑場で行っています。
- toka
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すみません、訂正。 ✕ 本田正純 ○本多正純
- toka
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私が知ってるのは、慶長年間(1609-1612年)にかけての岡本大八事件と、天和3年(1683)の八百屋お七くらいです。 岡本大八事件とは、一言で言えば徳川家康の重臣・本田正純の与力であった岡本大八による収賄事件ですが、この事件の影響がキリシタン大名やキリシタン弾圧の決定打の一つになるなど、いろいろ大きな事件です。 https://www.culture-pro.co.jp/2022/06/17/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%A8%E6%9C%89%E9%A6%AC%E6%99%B4%E4%BF%A1/ 八百屋お七については、もう当時から好色五人女に書かれるなどスキャンダラスなニュースで、今でもその名前だけは聞いたことのある人が多いと思います。 https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/learning/elib/qa/qa_31.html
- FattyBear
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下記サイトに各種事例が説明されています。古代に限らないようです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E5%88%91 残虐そのものですね。