- 受付中
報酬付き
「我思う、故に我あり」の後に?
「我思う、故に我あり」の後に、「その我は神と繋がっている…」という様なフレーズを続けていたら、デカルトは神学も内包できていたはず、だったんじゃないでしょうか? すごく極端な言い方をすれば、デカルトを持ち上げ過ぎたことによって「私たち一人ひとりが、自分の意思でしっかりものを考えたり感じたりすることが大事だ」と西洋人は思い過ぎて、それが啓蒙主義の発展にも繋がったんだけど、その反面で個人主義がはびこりやすい時代が、拡大し過ぎてしまったんじゃないでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12512)
補足のコメントをありがとうございました。 >現代人が行き詰まっているとしたら、スピリチュアル界は世の中を方向転換するためのヒントの宝庫のようなものだと思っています。 ⇒そうですね、同感です。 >スピ本の「アナスタシア」という本をご存知でしょうか…?ロシアで一般の俗世間的な男性が森深く彷徨いこんでアナスタシアという不思議な美女に出会う…というストーリーなんですが、その女性が語る現代人観察、現代社会観察が、現代の歪みを浮き彫りにしているのです。人間がもっと生来の能力を開花させれば、自然ともっと調和できるし、動物とも簡単に友だちになれると言うんですね。 ⇒「アナスタシア」という本は存じませんでした。昔イタリアの男性歌手が「アナステージア」という歌を歌っていましたが、関係あるのでしょうか? >アナスタシアはテレパシーや遠視等の超能力も色々使えます。つまり、地球上のパラレルワールドで進化した社会の住人がアナスタシアという設定で、主人公は偶然にもその人と出会ってしまったわけです。アナスタシアは、普通人の現代社会には、神経をすり減らすだけの無意味な仕事も多いと言っています。つまり、人間も本来、別の進化の経路を辿っていれば、アナスタシアのように自然と調和した生き方ができる社会を築けて、環境問題なんかどこ吹く風?状態だったかもしれないのです。 ⇒なるほど、そういう存在の女性ですか。ダンテの『神曲』に登場するベアトリーチェと共通するところがありますかね。それはともかく、大事なことは、確かに「自然と調和した生き方」ですよね。 >アナスタシアもベストセラーですが、同じくベストセラーの「フラワーオブライフ」を書いたメルキゼデクという人も、カナダの自然の中で長く暮らした人です。心を平和にする瞑想法を身に着けるだけで、自分の生き方も、自分の周囲の在り方も、より良い方向に持っていける、という風なことを彼は語っています。 ⇒アメリカのソローという詩人も自然の中で長く暮らした人ですね。彼は19世紀半ばごろに、「人間はいまや彼らの用いている道具の道具になってしまった」と言ったそうです。 >もしかしたら、現代人の文明は、本来の生命とは関係ないもの、虚飾に過ぎないものをゴテゴテと身につけ過ぎてしまったのではないか?大切なことはシンプルなものであるはずなのにと、そういう本を読むたびに思います。それもこれも個人主義が行き過ぎて、自由が野放図に礼賛されすぎて、人類がエゴを肥大化させすぎた結果なのではないでしょうか。 ⇒おっしゃること、よく分かります。共感しました。 以下、この問題について若干付言させていただきますね。 人類が環境を考える際に、最近特に繰り返し強調される自然との共生とは、言い換えれば人類がその一構成員として所属している生態系における自らの存在を自ら滅ぼさないために、常に生態系のバランスを念頭において思考し続けていかねばならないとする考え方である、と言えますね。地上のあらゆる場所で繰り返される様々な所業の結果、今や我々は「環境疎外」(環境による人間への疎外。人間の造った環境が人間に対して害を与えるようになったこと)の憂き目に見舞われてしまいました。これまで人間は、おめでたくも自然のためによいことをしているつもりでした。こういった意識を謙虚に反省し、誰のためでもない、自分自身のために地球に優しい行為が求められているのだという事実を肝に銘じるべきだと思います。「環境は祖先からの遺産ではなく子孫からの借り物である」(オーデュボン)という。現代文明の利便に浴しきっている我々は、未来を考える際、時に現在の自分を否定しなければならなくなって、その葛藤に苦しみますが、しかし自然環境との関係においては、今ここにいない人々をも視野に入れた行動上の配慮が求められることに疑いの余地はありません。 科学が経済と結合して技術を生み、科学の総合化や再構築の要請を無視して、直線的な動きを続けてきました。公害はこの一方向的運動の継続の当然の帰結でした。まして、繰り返しますが、環境は現代に生きる我々だけのものではありません。科学技術的進歩を一時凍結しても、核兵器・放射能汚染・地球温暖化など、負の科学的遺産の解決に全力をさし向けるべきではないでしょうか。今は、「進歩は二の次」としなければならない時かも知れません。広角的な視野で現代社会を捉え直せば、否が応でも、可能な限り汚染状態を減らし、持続可能な社会経済を維持することが必須の条件となっています。そうしなければ生きられない時代に居合わせた、我々の宿命的義務と言わねばならないのかも知れませんね。 以上、お説への賛同の弁を別言いたしました。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12512)
以下のとおりお答えします。(長文です。) >デカルトを持ち上げ過ぎたことによって「私たち一人ひとりが、自分の意思でしっかりものを考えたり感じたりすることが大事だ」と西洋人は思い過ぎて、それが啓蒙主義の発展にも繋がったんだけど、その反面で個人主義がはびこりやすい時代が、拡大し過ぎてしまったんじゃないでしょうか? ⇒なるほど、そうですね。ただ、まずいのは個人主義そのものというより、例えば、民主主義を悪用した(名目上の)国家首席が、しばしば実質上の独裁者に変身することでしょう。現在世界じゅうで見られる現象ですね。一方、文化現象を見れば、啓蒙主義の誤解とも言える行き過ぎた理性主義でしょう。かつては哲学が諸学問を統合する機能を果していましたが、それは原理的には今日でも変っていないはずですよね。つまり、哲学には諸科学を統合してこれに指針を与えるという機能がある、少なくともその使命を負っているはずだと言えます。ところが、現代哲学は史的研究には精出すものの、このような問題を哲学することにはあまり関心を持たないようなのです。 一方、人類史の頂点にいる現代人は極度に「洗練」されて、自然児たることすなわち己が自然の一部であることを忘れ、自然や人間を分析・制御するための学問に長けてきた一方で、全体を俯瞰し統括するという視点を喪失した観があります。また歴史上の頂点にいる"homo faber"(工作人)としてある意味必然の結果かも知れないが、現代人は超高度な文明化社会を現出しました。文明化そのものを咎め立てする気はありませんが、文明の高さに比して文化度が低すぎるのではないかと言いたいです。 その証拠として、我々現代人は地球上のあらゆる生命の生殺与奪権を掌握するという、いわば「人間帝国」を造り、体は一つなのにこれを切り刻んで部品化し、部品を寄せ集めれば全体に戻るだろうという要素還元主義的な(物理学などでは有効であろう)見方を生身の人間にまで当てはめ、それに染まり切って脱却できません。これらのことと、本来司令塔たるべき哲学の存在感が薄く、軽視されがちな風潮とは同一線上にあるようにも思えます。ある意味、我々が進歩だと妄信して精出してきたことが、実はとんでもない愚行、自然を冒涜する反逆だったのかも知れません。いや、よく分かりませんが、少なくともそういうことに思いを致してみることが必要ではないでしょうか。その意味で、我々が事態の原点に戻って考え直し、人間として「本当の幸福」を追求するのに最も頼みとなるのが哲学とその機能だと考えるのです。 ところで、人類の未来を考える時、注視すべきものは何か。それは疑いもなく、頭脳や理性に関わることだと言えるでしょう。デカルトらを中心として提起・確立されてきた合理主義精神は、近代以来の輝かしい人間賛歌であり、凱歌でした。それは否定できない事実であるし、我々現代人はその恩恵に与って文明を発展させてきたことも事実でしょう。しかし問題は、理性主義を尊重し過ぎて合理一辺倒にのめり込み、それに支配さえされてしまっていることです。早い話が、頭でっかちになり過ぎたということで、これすなわち、全体(=全身・生命)が一部(=頭脳・理性)によって支配されてしまっているのではないか、生命体として全身とのバランスを欠き、中途半端に頭がよくなったことが問題ではないか、と言いたいのです。 荒唐無稽な空想のようですが、一説によると、我々人類はかなり高い確率で自滅するといいます。その信憑性のほどは定かではありませんが、少なくとも「人類の行く末が、己が頭脳の産み出した兵器等の破壊力によって運命づけられる可能性がある」とは言えるでしょう。世界には、地球全体を破壊し尽すほどの核兵器が保蔵されていると言われて久しいですが、真摯に取り組んでいれば、「核兵器は発明しなかったことにする」こともできたはずですよね。ところが、実態はご存知のとおりです。この現実が暗示しているのは、地球と人類の終末的危機状況以外の何ものでもありません。それこそ、人間が「中途半端に」頭がよくなったことの結果がもたらしたことではないか、と言いたいのです。 ここで肝心なのは、現代人特有の頭脳や理性を、知識だけでなくむしろ「知恵に」活用することではないでしょうか。「本当に頭がよい」とはどういうことかについて考え直し、自滅回避の方向へ英知を結集したいものです。常に、あるべき人間的生の何たるかを哲学したいものです。そして、バラ色の未来とまでいかないまでも、「持続的安定社会」の実現のためにこそ頭脳を活かしたいものですね。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
- ベストアンサー率20% (190/927)
a) ちゃんと思考できることは、ソクラテスの時代から大切でした。けれども、多くの人たちは自分で思考せず、著名人の言うことをただ信じたりしやすいのです。現代人もこの点で同じです。 現代の悪は、多数や権威に迎合しやすい点にあるのです。
回答受付中のQ&A
- 無限個の確率
報酬付き
最初に算数で出てきそうな次の問題を見てください。 例題: 赤玉4個、白玉6個を中が見えない袋に入れて、1個取り出しては元に戻すという動作を100回繰り返します。この時、取り出した玉の色の比率はどうなると考えられますか。 解答: 赤玉:白玉の割合は、2:3の比率になる。 これは算数の確率の問題ですが、この問題の解答に矛盾や疑問点はありません。(暗黙の前提とされていることはありますが、そこをあえて指摘する必要はないです) これと同じ事を無限個の場合で考えました。 問題: 赤玉、白玉、青玉が無限にある。この3種類の無限個の玉を同じ袋に入れ、1個取り出しては元に戻すという動作を100回繰り返した時、取り出した玉の色の比率はどうなると考えられるか。 この問題は答えがどうなるのか、見当がつきません。また、問題の前提もおかしな気がするのですが、明確にどこが、どのように、どんな理由でおかしいのか分かりません。 この問題の答えはどうなるのか、この問題におかしな箇所があるのなら、それは何なのか意見を聞かせて下さい。 (補足) 現実には実現不可能という理由は無しでお願いします。 サイコロを使った問題で、現実にはサイコロの形には歪みがあるので正確に1/6では出ない、という理由のクレーム(?)を見た事があるのですが、そういった意味のない指摘はなしです。 現実には無限個の玉を袋に入れることはできませんが、仮定が数学的に矛盾を含まず考えることができるのであれば可とします。(というか、数学の問題とはそういうものですので)
- 回答数0
- 満腹感を感じるのに30分遅れる理由
報酬付き
1,満腹を感じるまで30分かかるそうですが、そのため人間は食べすぎになってしまうことがあると思うのですが、何のために30分遅れで満腹感を感じるのですか? 2,食べすぎは体に悪いですね? 3,ほかの動物も遅延があるのですか?
- 回答数1
- 「ウルトラマン」での光線がギザギザに進む理由は?
報酬付き
「光線」は原則的にはまっすぐ直進するものと思っています。 しかし、テレビ番組「ウルトラマン」の科学特捜隊隊員の光線銃の光線は、下の写真のようにまっすぐ直進するのではなく、ギザギザに進んでいます。 なぜ光線がまっすぐ直進するのではなくギザギザに進むのか理由を教えて下さい。
- 回答数1
- 材料力学のトラス構造の問題
報酬付き
下記の問題の解き方を教えてください。 頂点から左回りにABCDとなっていて、ACも部材で接続されていて、点Bにおいて回転支持され、点Dにおいて移動支持されているトラス構造を考える。部材の断面は直径dの円形であり、材料も同じで縦弾性係数はEである。以下の質問に答えなさい。 (1)点Cに鉛直方向外力Pが作用した場合について、部材ACに作用する内力を求めなさい (2)点Dの支持方法を回転支持として、点Cに鉛直方向外力Pが作用した場合について、部材ACに作用する内力と外力の作用点Cの変位を求めなさい。 (3)(2)の状態で、部材ACのみの温度をΔTだけ上昇させた場合について、部材ACに作用する内力を求めなさい。正し部材の線膨張係数をαとする。 答えは (1)Qac=P/2 (2)Qac=P/(2+√2)、δc=2√2Pl/(πd^2E) (3)Qac=(√2-1)(4P-√2πd^2EαΔT)/4√2 です。
- 回答数0
- 新規化学物質と化審法番号の関係について
報酬付き
化学会社に勤めています。 業務に関連してネットでも調べているのですが、理解出来ずご教示お願いします。 新規化学物質と化審法番号の関係ですが、新規化学物質(=日本国内においてこれまでに製造・輸入が行われていない化学物質)でないならば、化審法番号は存在するという理解は合っていますか? よろしくお願いします。
- 回答数1
- 青木繁はなぜ古事記に関心を持ったのですか?
報酬付き
青木繁は若いころ古事記を熱心に 読んだと記事に出ていました。 青木繁はなぜ古事記に関心を持ったのか 色々調べても出ていません。 青木繁はなぜ古事記に関心を持ったのですか お教え下さい。
- 回答数0
- お願いします
報酬付き
高二文系一橋大学志望です。それぞれの教科の受験勉強法が分からなくなってきています。 ・塾には行ってないですが行った方がいいですか? ・数学は青チャート、4ステップだけだと足りませんよね? ・古文、漢文が苦手なのですが文法書を眺めるより実際に問題をといて身につけた方がいいですか? ・英語は単語帳はシス単しか持っていないのですが他の単語帳も見た方がいいですか?また、長文の問題集で良いものがあったら教えていただきたいです。長文500は持っています。 ・化学基礎、生物基礎でおすすもの問題集があったら教えていただきたいです。 沢山ありますが、一つだけでもいいので教えていただけたら嬉しいです。
- 回答数0
- 実際のロウソクの炎の外炎 内炎
報酬付き
写真のロウソクの炎の外炎、内炎、炎心はどの部分でしょうか? 教科書の図ではわかるのですが実際の写真を見るとわからないです。 回答よろしくお願いします。
- 回答数2
- 数学I データの分析 分散の問題
報酬付き
問題は画像の通りで、(1)の答えは6です。 (2)について質問です。 「分散=(2乗の平均)ー(平均の2乗)」の公式を使い、 (平均の2乗)に6を代入するところまでわかったのですが、 (2乗の平均)の求め方がわかりません。 どなたか教えていただきたいです。 (2)の答えは13となります。 よろしくお願いしますm(__)m
- 回答数2
- 中一 友達がおかしいかも
報酬付き
中一です。Kって言う友達がいます。 その子は一見普通の子ですが知的障害グレーゾーンの子です。(知能指数がかなり低いです) 勉強も全くできません(例えば九九が言えなかったり、ただの筆算に2分ぐらいかかります) それだけならいいのですが最近おかしな言動に振り回され、疲れてしまいました。 例えば、数学の問題プリントに読めないぐらい小さい文字でよく分からない怪文書を大量に書いていたり、英語のファイルに「アリガトウ」とびっしり書いてあります。日差しが眩しいのにカーテンは絶対閉めないと言い張り、説得しても絶対閉めないで、など謎のこだわり。文字をノートのマスにあわせて書けない、ほぼ垂直になるほど右上がりの字(真っ直ぐ書きな、と言っても書けません)急になんの脈略もなくものを投げる。(小さな筆箱とかです)そして、Kは最近百均のプラスチックの櫛を落とした、と言って、通学路で見つかったそうなのですが、持ち手はなくなっていて、車や通行人に踏まれボコボコで梳かすところも折れそうになっている櫛をずっと使っています。(百均のなんだから買い替えなよ、と言ってもママが買ってくれた櫛だからと使っています)他にも、魚の目玉だけを大量に取り出して集めて庭に撒いたり(気持ち悪いからやめてといってもよくわかっていない様子です)、ペットボトルのキャップをお気に入りと言って学校に持ってきています。 正直、Kの行動にドン引きすることもあるし、イラついてあたることもあります。 Kにどのように対応すべきでしょうか?
- 回答数4
- 大学面接の服装について
報酬付き
制服がない学校です。 大学の面接があるのですが、ワイシャツに紺のセーター、黒の無地のズボンで行こうと思っています。問題は無いでしょうか。 大学のHPには面接に適したと書いてあります。上記の服装は常識の範囲内ですか?ネクタイつけたほうがいいですか?
- 回答数1
補足
朝、このご回答を拝見させていただいてから、我が意を得たりのような気がしてソワソワしていたんですが、仕事中だったので返信できませんでした。 非学問的なことを言うようで申し訳ないですが、私は個人的にはスピリチュアルに興味ありまして、現代人が行き詰まっているとしたら、スピリチュアル界は世の中を方向転換するためのヒントの宝庫のようなものだと思っています。 スピ本の「アナスタシア」という本をご存知でしょうか…?ロシアで一般の俗世間的な男性が森深く彷徨いこんでアナスタシアという不思議な美女に出会う…というストーリーなんですが、その女性が語る現代人観察、現代社会観察が、現代の歪みを浮き彫りにしているのです。人間がもっと生来の能力を開花させれば、自然ともっと調和できるし、動物とも簡単に友だちになれると言うんですね。アナスタシアはテレパシーや遠視等の超能力も色々使えます。つまり、地球上のパラレルワールドで進化した社会の住人がアナスタシアという設定で、主人公は偶然にもその人と出会ってしまったわけです。 アナスタシアは、普通人の現代社会には、神経をすり減らすだけの無意味な仕事も多いと言っています。 つまり、人間も本来、別の進化の経路を辿っていれば、アナスタシアのように自然と調和した生き方ができる社会を築けて、環境問題なんかどこ吹く風?状態だったかもしれないのです。 アナスタシアもベストセラーですが、同じくベストセラーの「フラワーオブライフ」を書いたメルキゼデクという人も、カナダの自然の中で長く暮らした人です。心を平和にする瞑想法を身に着けるだけで、自分の生き方も、自分の周囲の在り方も、より良い方向に持っていける、という風なことを彼は語っています。 もしかしたら、現代人の文明は、本来の生命とは関係ないもの、虚飾に過ぎないものをゴテゴテと身につけ過ぎてしまったのではないか?大切なことはシンプルなものであるはずなのにと、そういう本を読むたびに思います。それもこれも個人主義が行き過ぎて、自由が野放図に礼賛されすぎて、人類がエゴを肥大化させすぎた結果なのではないでしょうか。