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宗教が個人では成り立たない理由
宗教は集団で信奉されますね。禅でもお寺に集まって一人では無いですね。集団になるとお互い敵視するようになったりするのもよくあることですが、宗教も一人で居れば争いは起きないのでしょうか。
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広辞苑では、「神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰・行事」と定義されていますが、いわゆる宗教体験・悟りを開くということ自体は個人で得られるものだと思います。 それを、他に伝えていくことで信仰・行事をうけつぐ意味で、規模や範囲に違いがあるにせよ、宗教は一定の集団になるのではないかともいます。 仏教でも、上座部仏教のように布教より個人の解脱に重きを置いたものもあり、氏神信仰のように一子相伝のようなものもあります。 信仰自体は個人でも成立するでしょう。 ちなみに日本の宗教法人は、一定数の信徒がいないとみとめられません。信仰自体に社会的な信用は関係ないですが、宗教として布教を目指すなら集団を形成せざるを得ないのではないかと思います。
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- oska2
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>宗教は集団で信奉されますね。 集団とは、限りません。 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教なども、最初は個人独り(教祖)での信奉でした。 >禅でもお寺に集まって一人では無いですね。 曹洞宗・臨済宗などでは、修行僧が集団で座禅を組んでいますね。 が、地方では「独りで本堂などで座禅」を組んでいる人もいますよ。 >集団になるとお互い敵視するようになったりするのもよくあることです 4人以上集まると、派閥が誕生します。 派閥が誕生すれば、争いが起きますね。 国家でも、「常に敵を見つけないと国内統治ができない」と考えるのが、独裁政権です。 民主主義国家でも、与野党間での政争が存在します。 まぁ、日本の場合は「野党の目的は、政権を倒す事だけ」です。 政権を奪取すれば、目的を達成したので政治は行わない。 鳩山政権・管政権が、いい例です。^^; >宗教も一人で居れば争いは起きないのでしょうか。 確かに、争いは起きませんね。 しかし・・・。 独りで多数を攻撃する事も、歴史上存在します。 また、一人では何も出来ないので「同志を募り、集団化」を最初にする事の方が多いですね。 余談ですが・・・。 嘘か真か、表に出ない宗教集団が存在するという都市伝説がありますよね。 この裏宗教では、個人単位で活動しているとか?
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- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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b) 現在は、堕落している教団も多く、どこか教団に所属することで、かえって信仰から遠ざかる恐れも高いです。だから、どこの教団にも属さずに、経典などを独学したほうが、信仰が深まる可能性があります。 c) 信仰は神仏に近づくための行為であり、堕落している教団に属しても、神仏でなく、お金儲けに近づいたりもします。 宗教があり、その公式教団があり、また、その宗教の経典を独学する無所属信者もいる。どちらも信仰とは言えるでしょうが、どちらが神仏に真に喜ばれているかは分かりません。
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- eroero4649
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現生人類と同じ人類としてよく知られているのが、ネアンデルタール人です。彼らは絶滅してしまい、我々は地球史上でも稀に見る大繁栄を手に入れています。 「なぜネアンデルタール人は絶滅し、現生人類は絶滅しなかったのか」の謎はいまだに分かっていません。 そのうちの説のひとつに、我々現生人類が「宗教を持っていたからだ」というものがあります。文化人類学者によると「人類あるところ宗教あり」で、どの民族であれ原始的でも信仰を持っているとのことです。 ちなみに日本人の多くは自分たちのことを無宗教と思っていますが、実際は「どの神様にもいい顔をする宗教観」の持ち主です。だから生まれたら神社に行って神主さんのお祓いを受け、結婚するときは牧師さんの前で永遠の愛を誓い、死んだらお坊さんにお経を唱えてもらうのです。そしてそのことに概ねみんな疑問を持っていません。 宗教がなぜ絶滅を防ぐのかというと、共通の信仰を持っている場合はお互いに助け合いますよね。民族(部族)の垣根を越えられるのが宗教です。人類が絶滅の危機を迎えるようなことが起きたとしても、同じ信仰があれば同じ信仰を持つ者同士で民族の垣根を越えて助け合うことができ、絶滅しなくて済む、というわけです。 最近、ネアンデルタール人でも興味深い発見がありました。 地中海地域だったかな、もしかしたら「最後のネアンデルタール人」に属するかもしれない末期のネアンデルタール人の骨のDNAを分析したところ、ある興味深いことが分かったそうです。 それは、ヨーロッパの別の地域に属するネアンデルタール人と、DNA上は約5万年の間交流がなかったことが分かったそうです。 その距離は、徒歩で10~15日程度の距離だったそうで、彼らは非常にご近所にいながら、そしておそらくお互いに「あの辺りに自分たちと同じ連中がいる」と分かっていながら、お互いに相手の存在を無視していたのです。 よくいえばお互いにテリトリーを守って侵略しなかったことになりますが、悪くいえばそれぞれに孤立した集団になっていたということです。一般的に、集団が孤立すると免疫能力が獲得できず、感染症に対して弱くなります。アメリカ大陸には天然痘ウイルスがなく、そのため南北アメリカ先住民族は天然痘への免疫がありませんでした。大航海時代でスペイン人が南米に天然痘ウイルスを持ち込むと天然痘は猛威を発揮し、一説にはインカ帝国(ペルー)の先住民族の7割が天然痘で死んでしまったといわれるくらいの災厄をもたらしました。 ネアンデルタール人もお互いにコミュニケーションをとることが一切なかったので、何らかの理由でその集団が絶滅の危機に陥ってもそれを食い止める術がなく、それが絶滅に至ってしまったのではないか、という説があるのです。 我々現生人類は、相互に助け合わないってちょっと考えられないですよね。アフリカで怖ろしい感染症が流行しても、ウクライナやガザで悲惨なことが起きても、遠い国の違う民族ことだから関係ないし関心もないという人もいるけれど、同じ人類同士助け合わなければいけないと助けに向かう人たちも大勢いますよね。 そういう我々の道徳観の基礎になっているのが宗教というわけです。
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- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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a) 信仰は自由なので、独りででもできます。 b) わたしは敵対させるために来たからである。 人をその父に、 娘を母に、 嫁をしゅうとめに。 こうして、自分の家族の者が敵となる。(マタイ福音書10章) イエスの言葉です。 このように、信者集団内部で争うより、まず家族の間に対立が起きやすいのでしょう。だから、独りの信仰でも、家族間の争いなどは起き得ると思います。
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- takochann2
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その人が独りだけ信じるものがあって儀式を行っていても宗教の定義には当てはまりません。宗教の定義には、集団を形成し、同じものを信じて、それに対して儀式を行う事と定義されています。 宗教か否かは別として、独りでは宗教集団には勝ち目がないので争いは起らない。
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- AlexJenifer
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起きないですよ。 仏教には「礼拝」のようなものがないので、僧として得度しようと思わず、単に一人の信徒として仏を信仰し続けるだけなら一人きりでできます。
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- jkpawapuro
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仏陀だって悟りを開いたときは一人で開いたわけで、別に一人だから宗教にならないってわけではないですよ。 信ずるものは人それぞれ、なんでも構いません。 その人が信じればそれが一つの宗教です。 では人はなぜ群れるかと言うと、一人で思想を切り開いて宗教を作るより他人の教えに縋りたいからでしょう。
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