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「場所」という概念は、精神活動の産物に過ぎない?
「場所」という概念は、精神活動の産物に過ぎないんでしょうか?
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以下のとおりお答えします。 >「場所」という概念は、精神活動の産物に過ぎないんでしょうか? ⇒そう言えると思います。 仮に人間がいなかったとしても、この宇宙や銀河や太陽(と呼ばれるものの相当する天体)は存在して、それぞれの場を占めていたに違いありません。そこに、区別したり名前をつけたりする人間が現れて、それぞれに宇宙や銀河や太陽などの名と場を「与えた」わけですね。(もっとも、自然の側が「与えてくれ」と言ったわけではありませんが。) さらに人間は、集まって、例えば都市を作り、「都市のイメージを分析して《パス(交通路―道路、河川など)、エッジ(縁〔へり〕―岸、崖などパスの連続を中断するもの)、ディストリクト(区域―共通の認識作用をもたらす範囲)、ノード(集中点・接合点)、ランドマーク(目印)》を要素として注目する【以上、中村雄二郎『術語集』からの孫引き】…と、このように人間の概念は対象を細分し、それぞれに特有の「場所」を与える。 このように、概念(化)という名の精神活動は、留まるところを知りません!
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- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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回答No.3
a) 場所も、時空の一部であり、魂が無ければ、時間も場所も理解できないでしょう。
- nihonsumire
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回答No.1
概念をどう考えるかによって異なります。
お礼