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どうすれば「ここに神様がいる」と、気付けるように?
どうすれば「ここに神様がいる」と、気付けるようになるんでしょうか?
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前便では誤植や分かりにくい語句がありましたので、訂正して再送します。 (再送分) >どうすれば「ここに神様がいる」と、気付けるようになるんでしょうか? ⇒「不可知の雲」という言葉があります。何を意味するかというと、人知(=人間の知恵)の限界を示す用語で、それより向こうに人の理解が及ぶのを妨げる「雲」のようなものです。多くの人がこの「雲」に出会うと、「(神のことなど)分からん」と思って、それ以上考えるのをあきらめます。無理もないことです。 しかし、一部の人は、あきらめません。そして、「分からないことは必ずしも、神がいないということではない」として、問い続け、探求し続けます。また、別の人は、「今分からないということは、いずれ分かるかもしれないということだ」として、「神の代理」(神に取り次いでくれるだろうと考えられる存在)に、この問題を一時的に預けます。その間にあらゆる予備知識を捨て、まっさらな心で考え、進んで他者とも意見を求めます。 …というわけで、残念ながら「ここに神様がいる」と気付くことはいまだできませんが、そのための方法は、2つ考えられます。 ① 神の探求をあきらめず、問い続ける。問い続けることが大事だと考える。そうすれば、答えがすぐみつからなくても、少しは神に近づけるだろうと確信している。 神の問題に執着せず、少し離れた見方で自由な考察を試みる。いろいろな人の意見をすり合せることによって、真相(=どうしたら身近に神を感じられるかという問いの答え)に肉迫しようとする心的態度を維持する。
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- Nakay702
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以下のとおりお答えします。 >どうすれば「ここに神様がいる」と、気付けるようになるんでしょうか? ⇒「不可知の雲」という術語があります。何を意味する用語かと言うと、不可知の雲とは人間の知恵の限界と神の認識との間に垂れ込めている黒っぽい雲で、それより向こうに人智が及ぶのを妨げている存在です。無理もないことですが、多くの人が不可知の雲に遭遇すると、「思考停止」するか「不可知論者」となって探求を断念します。 しかし、一部の人は、あきらめません。そして、「分からないことは必ずしも、その不在を意味しない」として、不断に問い続け、常により上級の審判を仰ぎながら探求し続けます。また、この「一部の人」の分派は、「今分からないということは、いずれ分かるかもしれないということだ」として、拙速を避けるために「神の代理」(絶対知を統率すると考えられる存在)に、この「案件」を一時預かりしてもらいます。その間にあらゆる予断・独断・偏見を捨て、外堀から核心に迫るべく、考察・洞察・観照を試みます。 …というわけで、残念ながら「ここに神様がいる」と気付くことはいまだできませんが、そのための方法は、2つ考えられます。 (1) 探求を放棄せず、不断に問い続ける。結果よりプロセスが大事と認識する。明快な結論は出ないまでも、少なくとも漸進はすると確信する。 問題意識を温存しつつ、本題から少し離れた観点から自由な省察を試みる。いろいろな知見を擦り合せることによって、真相に肉迫しようとするスタンスである。
- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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a) 毎朝、朝日が昇るのも、当り前に見えて、神のお陰なのです。神や天使たちが、人知れず太陽系のメンテナンスをしてくれているのです。
- oska2
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>どうすれば「ここに神様がいる」と、気付けるようになるんでしょうか? そものも、「神様って何?」で異なります。 1945年の敗戦までは、天皇が「現人神」でした。 ※アマテラス神の子孫で、生き神様。 ※昭和天皇は、人間宣言をしたがアマテラスの子孫だ!と崩御するまで考えを変えなかった。 まぁ、日本は全て有形無形の物に神様がいると考えますよね。 でも、多くの人は「神を感じた事がない」のです。 神道系の大学・学校でも、神の存在は秘密ですからね。 地方の神社でも、「ご神体は秘密」という所が多いです。 じゃ、神の存在に気付かないじゃないか? 何をもって神とするか次第ですが・・・。 五感を研ぎ澄ませれば、何かを感じるかもね? 寒い時は寒さを感じ、暑い時は厚さを感じる。 日の出とともに起き、日没とともに寝る。 自然と一体の生活をする事が、最低限の行動ですかね? また、高野山から那智大社までの熊野街道(古道)を歩けば何かを感じる人が多いという話を聞いた事があります。 平安時代以降は、自然を感じながら徒歩で巡礼する事で神・仏を感じた様です。
- mimazoku_2
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はっきりとしていないですよね。 存在を認知するのではなく、近くに感じるのが正しい感覚だと思います。 私は、「ひらめき」は{神(仏)の掲示}と捉えています。 つまり、悩んだ末の「ひらめき」は、神(仏)の声が届いた状態。 それが神(仏)の知恵を授かった瞬間であると言える。
- yokohamatakurou
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西洋的な神のことはよくわからないけど、日本的な「山の神」とか「海の神」みたいなものでよければ、伊勢神宮とか出雲大社とかにいくと感じるものはあるかなあ。日本人なら。
- inoim777
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とても興味深いご質問だと思います。 こういう話をすると、ほとんどの人は、アヤシイとか危ないなどと言って意図的に考えることを避ける傾向があるようですが、昔から一部の勇気のある哲学者、例えば、プラトンやデカルト、スピノザなどは人生をかけて真剣にこの問いに対する答えを探し求めていたようです。 私自身の体験からになりますが、まずは、「わたしとは何か?」、あるいは「わたしでないものとは何か?」と問い続けることだと思います。 外側を探すのではなく、内側から探していく感じでしょうか。 自分の身体や思考、感情、感覚など、客体として認識できる何かがあるとすれば、必ず認識している主体があるはずなので、その主体が自分ということになるわけですが、では、その主体としての自分は何なのか?といった感じで探求し続けると、そのうち意外なことがわかってくると思います。
- Japadize
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規則正しい生活をする事では
- maskoto
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心を深く鎮める事が必要となります
お礼