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ドレイク方程式、宇宙文明の数
銀河系内に存在する高度な文明の数を計算するドレイク方程式が有名ですよね。宇宙に強い電波信号を送れる文明では、核兵器や化学兵器や生物兵器も発達するので、最長でも1000年以内で自滅しているだろうという意見もあります。 仮に他の文明からの電波信号を人類が受信できても、返信が届く頃にはその文明は自滅している可能性が高いですか?
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まず、それくらい高度な文明を築けるくらいに発達したとしたら、宇宙には他にも同じような文明を持つ星があるかも知れないと考えると同時に、そこはとても遠い場所だということも理解しているはずです。 なので、どこに存在するかも分からない遠い星に向かって膨大なコストをかけて電波信号を送る意味がありません。実際我々地球人もそんなことはしてません。 なので基本的には他の星から電波が届くということ自体が限りなくあり得ないと思います。 ただ、そんなあり得ないことが起こるとしたらどんな状況なのかを想像してみることはできます。 先ほど「どこに存在するかも分からないのに無駄なコストをかけて電波を送る意味がない」と書きましたが、この前提条件が成立しない状況ならよいわけです。 つまり、「太陽系の第三惑星には文明を築いている知的生命体がいる」というのが分かっていれば、そこに向けて何かメッセージを送りたくなくなり、その手段として電波を送ることを考える可能性が出てきます。 で、太陽系外からそんなことが分かるくらい高度な科学技術が発達してるなら、自分たちの星から電波を発信するのではなくて、地球の近くまでやってきて、地球人がどんな文明レベルでどんな電波を使いどんな言語で会話しているのかを観測した上で、地球の近くから地球人が使っている放送技術に合わせてメッセージを送ってくる可能性が高いと思います。 逆に言うならそれくらいの科学技術がないと他の知的生命体にコンタクトを取ろうとしないのではないですかね。 上記のような形で電波を受信したなら、返信はあっという間に相手に届くことでしょう。
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- Nakay702
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>ドレイク方程式 ⇒アメリカのCETI→SETI計画での話で、10項目ほどの未知数を組み合わせて文明社会が銀河系内にどのくらいあるかを計算する多元連立方程式ですよね。いずれの項も未知数ですが、とりわけ我々人類文明の寿命の取り方で解も大きく揺らぎますね。仮に人類文明の寿命を1万年とすると、天の川銀河内には1000個(1000光年内に1個)の高等文明生命体が存在する計算になるといいます。 ということは、仮に人類文明の寿命を10万年とすると、天の川銀河内には10000個(100光年内に1個)の高等文明生命体が存在する計算になるといいます。1000光年内に1個では望み薄ですが、100光年内に1個なら、2~3世代かけて交信する気ならできますね。(人類文明の寿命が10万年以上でありますように!) >核兵器や化学兵器や生物兵器も発達するので、最長でも1000年以内で自滅しているだろうという意見もあります。仮に他の文明からの電波信号を人類が受信できても、返信が届く頃にはその文明は自滅している可能性が高いですか? ⇒ご指摘のとおりだと思います。残念ながら、その可能性が高いと言わざるを得ない感じですね。勝手ながら、ここで一言居士を張らせてください。 人類の未来を考える時、注視すべきものは何か。それは疑いもなく、頭脳や理性に関わることだと言えるでしょう。デカルトらを中心として提起・確立されてきた合理主義精神は、近代以来の輝かしい人間賛歌であり、凱歌であった。それは否定できない事実であるし、我々現代人はその恩恵に与って文明を発展させてきたことも事実でしょう。しかし問題は、理性主義を尊重し過ぎて合理一辺倒にのめり込み、それに支配さえされてしまっていることです。早い話が、頭でっかちになり過ぎたということで、これすなわち、全体(=全身・生命)が一部(=頭脳・理性)によって支配されてしまっているのではないか、生命体として全身とのバランスを欠き、中途半端に頭がよくなったことが問題ではないか、と言いたいのです。 例えば、現代人の争いごとほど「頭脳戦争」の様相を帯びているものが他にあるでしょうか。映画にもなったSF『宇宙戦争』(H.G.ウェルズ著)に描かれた、頭から直接手足が伸びているような怪物に形態進化するのかも知れないと危惧されるほどです。荒唐無稽な空想のようですが、我々人類はかなり高い確率で(一説によると、99.7%の確立で!)自滅すると言います。その信憑性のほどは定かでないですが、少なくとも「人類の行く末が、己が頭脳の産み出した兵器等の破壊力によって運命づけられる可能性がある」とは言えると思います。世界には、地球全体を破壊し尽すほどの核兵器が保蔵されていると言われて久しいです。『渚にて』(アメリカ、1960年)や『復活の日』(日本、1980年)のような映画が公開されて話題を呼びましたが、これらが暗示しているのも、地球と人類の終末的危機状況です。それもこれも、人間が「中途半端に」頭がよくなったことの結果がもたらしたことではないか、と言いたいのです。 要約:頭脳は、当然ながら生体の一部です。その生体の一部に偏重し過ぎた結果、生の全体がそれに支配されているのではないかと懸念するのです。我々はこういう憂慮すべき点にこそ頭を使うべきだと思います。現代人特有の頭脳や理性を、「知識だけでなくむしろ知恵に活用すべき」だと思います。ただ、このような理想的条項は重要であるにもかかわらず制約も多いです。したがって、状況に応じて柔軟に対応しつつ、永遠に求め続けていくことになるでしょうし、求め続ける姿勢が重要です。それを放棄する時こそ、人類は滅亡へ向かって驀進することになってしまうこと必定です。「本当に頭がよい」とはどういうことかについて考え直し、自滅回避の方向へ英知を結集したいものです。そして、バラ色の未来とまでいかないまでも、持続的安定社会の実現のためにこそ頭脳を活かしたいものではあります。(つい感情がこもって、長々と失礼しました。)
お礼
知識と知恵を結集するのは大勢が賛成ですが、リーダーになりたい人が多すぎるのでしょう。オーケストラの指揮者が多すぎるような状況でしょうか。ありがとうございます。
お礼
人類が理解できるような言語を使うはずな訳ですね。ありがとうございます。