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【鉱物・鉱石・歴史】兵庫県北部にある玄武洞公園の玄
【鉱物・鉱石・歴史】兵庫県北部にある玄武洞公園の玄武石は龍の姿に似た長方形の石が採掘出来たので玄武=竜の神様の住む洞窟として神秘化されて来ましたが、江戸時代の人は神様である玄武の住む洞穴を採掘して玄武石を取り出していましたが、何に使っていたのですか? 玄武石は墓石に使われる石なのでしょうか? でも江戸時代の人たちはお墓を持つ習慣はなかったはずです。玄武石を何に使っていたのでしょう? また玄武=龍神は水の神様だと思っていましたが、玄武洞には水がないので、もしかして龍=水ではなく、石だったのかも。長方形の石が取れる山だったから玄武が住む所として神格化された。 水が湧き出るから龍ではなく、龍の鱗が取れるから玄武信仰が生まれた。 貴船神社も八坂神社も昔は山で玄武石のような長方形になった石が多く取れたので水の神様ではなく、石の神様の場所を青龍が住む場所と言っていた?
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>玄武=竜の神様の住む洞窟 >玄武=龍神は水の神様 →玄武とは、中国神話で方位を司る神(四神)のうち、北方に相当する蛇と亀が合体した神体で、黒色の意味もあります。水神です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E6%AD%A6 江戸時代の儒学者・柴野栗山(しばのりつざん)が当時城崎に来遊した際、この珍しい採石場を中国の四神の「玄武」に因んで「玄武洞」と命名しました。多分、玄武岩の色が黒いので玄武と名付けたと考えます。そのほかの洞窟名は、その他の方位を司る神にちなんでと思います。 >江戸時代の人は神様である玄武の住む洞穴を採掘して玄武石を取り出していましたが、何に使っていたのですか? >玄武石は墓石に使われる石なのでしょうか? →「灘石(六方石)と呼ばれる片石の切り出しが行われ、城崎温泉の大谿川護岸などにも利用されている」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E6%AD%A6%E6%B4%9E#cite_note-Ohashi-1 他の場所の柱状節理でも護岸などに使用された例があります。 https://www.hirahaku.jp/web_yomimono/geomado/sekiz12.html 日本の墓石は、玄武岩以外の花崗岩や閃緑岩、斑れい岩が多いです。 >江戸時代の人たちはお墓を持つ習慣はなかったはずです。 →いいえ、江戸時代以前からありました。 「庶民が墓石を建てる習慣は、戦国時代の畿内に始まった。江戸時代になると檀家制度が確立され、人々に先祖に対する供養や葬儀、墓など仏事が生活の中に定着したことにより、全国的に見られるようになった。」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%93%E7%9F%B3 >八坂神社も昔は山で玄武石のような長方形になった石が多く取れたので水の神様ではなく、石の神様の場所を青龍が住む場所と言っていた? →京都市内では、玄武石のような長方形になった石は見つかっていないと思います。 また、貴船神社も八坂神社は主祭神は青龍とは関係ありません。 関係あるのは ・八坂神社は京都の東側にあり青龍=東方を守護していることです。 ・貴船神社は、青龍ではなくもともと水神が祭られています。 です。 どちらも、地層的に水が得られやすい場所だから、水に縁があるのだと思います。
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- nagata2017
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柱状節理という構造の結晶 断面が六角形です。 その結晶に沿って割れ目ができるので それをそのまま取り出したのが 灘石(六方石)と呼ばれました。 城崎温泉の大谿川護岸などにも利用されていました。 玄武洞と名付けられたのは 文化4年(1807年)6月25日のことです。 儒学者・柴野栗山
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