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ビールの銘柄について
現在ならアサヒビールは「ドライ」とか「クリア」 キリンビールも「ラガー」「一番搾り」等ありますが、 昭和末期位迄は「アサヒビール」「キリンビール」と統一されていたのでしょうか? 昭和末期位に「ドライビール」が生み出されてから、少しずつ製法を変えていくので、銘柄を分けて行く様に成ったのでしょうか?
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そういうことに興味をお持ちなら、下記もご参考になるかもしれません。ご参考まで。 https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/17909/kenkyu0290400010.pdf https://www.biz.tmu.ac.jp/wp-content/uploads/sites/9/2015/03/049mizukoshi.pdf
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- iBook 2001(@iBook-2001)
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はじめまして♪ 基本的には、ビール大好き。という者です(^o^) (飲むことが好きなんだけど、、汗) 結構な飲み経験で、大先輩達との交流があって、どうやら戦後の復興以降からバブル景気近くまでは、一般小売用のビールはメーカーごとで1種、、みたいな環境だったと聞いています。簡単に言えば、アサヒビール、キリンビール、サッポロビールとかだったそうです。 (ごく一部の業務用生ビールは今とは違う施設(設備)が無いと扱えなかった、、らしい。) 瓶や缶に封入する時点で、加熱殺菌を行わない技術が完成して、アサヒのスーパードライが登場。これが「特別な場所でしか飲めなかった生ビール」みたいな印象から徐々に市場を拡大。自動車で言えば一人勝ちのトヨタみたいだったキリンの業績がアサヒどんどん侵食され、、、ついには「売上市場率ナンバーワンのアサヒスーパードライ」という時代になりました。 ただ、日本のバブル経済期というタイミングもあって、自社製ビール以外にも、海外のビールを取り扱ったりと、それまで各社が「自社として美味しいとかんがるビールはコレ」という単一的な考え以外からの。。。というのが、今では同じ眼カーでも複数のラインナップを製造販売している。という流れになった。。みたいですねぇ。 一応、バブル期(の末ころ?)にも呑んでいたんですが、少し隠れ家的なお店に行くと、20〜30種くらいの世界のビール、というのを手供してくれたお店では、緑色のビールとか、赤っぽい、オレンジ色っぽい、なんか色がない白ワインっぽい?とかのビールも試しましたぁ。 ま、今は「キリンのクラシックラガー」が、あったらソレを頂きたい。という感じです(^o^汗
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- jack-a3
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もともとは各社が代表的な1銘柄を通年発売してましたがその中でキリンが圧倒的ヘシェアを獲得してました。 アサヒがスーパードライを発売しシェアを獲得した時もアサヒはスーパードライ一辺倒で他銘柄のビールを同時併売してた訳ではありません。 しかしスーパードライは他メーカーの既存商品と比べて明らかに味わいが違う個性的な商品でした。これがきっかけとなってビールにも個性化の波が到来したと言っていいと思います。 かといって従来の定番商品にはそれなりのファンがついてるので、従来商品とは別の名前で新しい味や風味を持つ商品が発売されるようになり、その先駆けがキリンの一番搾りだったというような流れです。 その一番搾りも発売から30年以上経過しすっかり定番化しました。その間に新しい味を持つビールが出てこなかったかというとそんなことはなく、季節限定商品などがありました。あとは発泡酒や第三のビールの台頭や輸入ビール、クラフトビールや地ビールの登場によって定番商品と違う味わいを求める層の要求はある程満たされるようになりました。 最近、アサヒはマルエフを発売しキリンも晴風を出してます。これは酒税が変更になり発泡酒や第三のビールの値段が上がったことで正規ビールに戻ってくる層がいると見込んだ動きだと思います。
お礼
- are_2023
- ベストアンサー率32% (987/3028)
https://museum.kirinholdings.com/brand/01.html キリンの歴史 1888年のラベルに「LAGER BEER」ラガービールと書かれています、その後も「LAGER」は常に印刷されています
お礼
補足
有難うございました。 確かめてみると「LAGER」は常に印刷されている様でした。
お礼