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勉強、学校の意味
勉強って自分で本を買えばできるじゃないですか。 その意味でいえば、学校に一切行かなくてもいいという気がします。 理由としては自分も小学校→中学校→高校と行きましたが、勉強もしなかったし学校の先生の話なんか一切聞いていません。 しかし何故だか知りませんが、本屋に行って自分で本を選んで買うことはしています。 それが勉強という"定義"なのかはわかりませんが、少なくとも自分の学生時代よりかは勉強をしています。 別に何か資格とか、テストを受けるとかはないので、自分が今どのぐらいの学力なのかはわかりませんが、学校という制度、仕組みにどういう意味があるんだろうかと、疑問に思います。 学校はどういう意味がありますか?
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- staratras
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自分が歳を取るにつれて、学校時代が懐かしく思い出されるようになりました。もちろん楽しかった思い出ばかりではなく、「周囲の空気に無関心で我が道を行く落ち着きのない子」だったこともあり、対同級生だけでなく対教師も含めて嫌なこともありましたが、それはそれとして、同年代の子どもたちが一緒に生活して勉強した共通体験は貴重だったと感じています。 「勉強って自分で本を買えばできるじゃないですか。」それはその通りですが、本で得られる知識と人から直接学ぶ知識には大きな違いがあります。例えば回答者の世代を教えた教師の中には実際に戦場で戦った体験者も多くいて、そうした先生が淡々と語る自分自身の悲惨な戦争体験(被害者側だけではありませんでした…)の重さは歴史の本で得られる知識とは比べ物になりませんでした。 また中学生のころ、理科の生物分野の授業で顕微鏡で水中の微生物を観察する実験をしたことがあります。非常に特徴がある面白い形の微生物がいたので、先生に名前を聞きましたが先生もわからず、次の授業までの休み時間の間に調べて「セネデスムス」というものだと教えてくれました。50年以上たった今でもこのやり取りと「セネデスムス」という名前を覚えていますから、学校の先生の授業というのも「捨てたもんではない」と思います。 とはいえ、どうしても学校の集団生活に馴染めない子どももいます。「不登校」など昨日今日始まった現象ではなく、半世紀以上昔回答者が中学・高校生だったころの親族にもいました。こうした子どもたちにとっては学校は「かえって症状を悪化させる体質に合わない薬」のようなものなので、「学校に通わない」という選択肢も当然「あり」です。よく誤解されますが、「義務教育」の「義務」とは「子どもが学校に行く義務」ではなく「保護者が子どもに教育を受けさせる義務」です。(すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。ー日本国憲法26条) 要するに社会に学校はもちろん必要ですが、子どもたちが「学校に行かなければ」という重圧から解放されることも必要だと考えます。
回答No.10ですが、少々、修正です。 × 学校での経験 〇 学校に所属している時の経験
回答No.7ですが、今度は、もっと具体的に。 まずは、心得について書かせていただきました。 一旦、やり始めたら、最後まで”やり抜く” 次に、本なんか、何冊読んだところで、ボールの投げ方・取り方・打ち方は、分かりませんし、できるようには”なりません”(本を読んで、野球ができるようになるわけが”ありません”) 更には、一人で、どーやって上達するのか? 練習・練習、また、練習の日々です。 通常は、勉強なんかしている暇は”ありません”(余程の秀才でもない限り 質問者様は、逆なのです! 勉強に意味があるのではなく、学校に”意味がある”のです!(自信あり ※ちなみに、私は、その学校(大学)を中退したところで、心がやんでしまいました。(当然です 勉強なんかよりも、何年掛かってもいいから卒業するのが重要。 学校の”お勉強”なんて、人生から見た場合、何の意味もないのです。 逆に、どこかの学校を卒業したことに”意味があるのです” あの大谷翔平(もはや世界の大谷)さんですら、花巻東高等学校御卒業です。(中退ではありません もっと有名なところでは、マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツ氏。 この方、仕事に忙しく、ハーバード大学を中退されています。 あんな大富豪で、世界的な社会的地位を持っている方ですら、立教大学から、卒業証書(学位記)を授与された時は、親子で、とんでもない喜びようでした。(それくらい意味がある、ということの証明でもあります。 こんな私自身であっても、何か行き詰ったりした時に、思い浮かべるもの(道標)は、諸先生方から教わったことばかりです。 独学は、何かと”危険”でもあります。 ※脱線しますが、仮に、大谷翔平さんが、バカにされたことにムキになって、野球を放り出し、勉強しだしたら、どうなりますか? 回答No.7で、私が書いたことは、そういうことです。 何かに取り組んでいるときに、おばさんから「それくらい勉強すればいいのにねぇ、・・・」と言われた場合、「だからいい」というのが根底に流れていますし。 仮に、私が、本当に勉強をしてしまったら、ガッカリなのです。(愚かな私は、グレて、それをやってしまいました。 大反省) 人生、やりたいことをやるのが一番!(勉強なんか、いつでもできますし。 逆に、学校での経験は、学校でしか”できません”(金では買えません) 家や車なんて、金さえあれば、いつでも誰でも買えます。(^^)
- sakura-333
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長い時間をかけて何かをしてきたことの証にはなりますよね。 特に何かをした覚えがなくても、自然に読み書きができるのは学校があったからで、世界にはそれすらできない人だってたくさんいます。 >自分で本を買えばできる 日本人が日本語検定を受けないようなもので、自発的に何でもする人であれば別ですが、中には本を買うこと自体しない家庭もあるでしょうから義務教育まではあった方がいいという考えも…
- eroero4649
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「直接に習わないとニュアンスが伝わらないこと」というのは沢山ありますね。 若い頃にストリートファイター2が流行って私ものめり込みましたが、そのテクニックのほとんどが友達から教わったものです。ただ自分で適当にボタンを連打してるだけだったら全然強くなれなかったでしょう。 あと私は中学生のときにちょっと厳しい塾に入れられて、かなり無理やりに勉強させられはしたのですが、あのときに厳しく勉強させられなかったら高校受験に失敗していたと思うので、あの塾には怒られた記憶ばかりでその後にその塾が潰れてなくなったときは「もう目にしなくてもいい」と心底ほっとしたのですが、今でも無理やり勉強させてくれたことに一定の感謝をしています。講師の先生方はもうお爺さんになっていると思いますが、もし機会があるなら感謝の挨拶くらいはしたいですね。 学校というところに行くことによって、自分を相対的に、つまり自分自身を客観視する能力はある程度身につくと思います。自分を相対的に見られないと、社会に出ていろいろ苦労すると思いますから。 社会全体のボトムアップをするという点において、義務教育というのは必要なのだろうと思います。だってこの世界において経済力が低い国ってだいたい義務教育が国民にいきわたっていない国でしょう? >勉強って自分で本を買えばできるじゃないですか。 それは質問者さんが文字の読み書きを学校で習ったからです。小さい頃の思い出だから「習った」という実感がないだけでね。文字が読めなきゃ、そもそも本を買っても勉強できない。質問者さんも外国語の本は読めないでしょ?
>その意味でいえば、学校に一切行かなくてもいいという気がします。 法律違反になってしまいます。 国民の三大義務 ・教育の義務 ・勤労の義務 ・納税の義務 憲法26条 1項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。 ちなみに、私は、先生(教師)から「勉強しろ」と言われたことは、一切、ありません。(親にも無いです) 学校へ行った理由は、ただただ「親に怒られるから」です。(キッパリ そして、学校で最も後悔しているのは、野球(野球部)を辞めてしまったことに尽きます。(逆に、高校から、自分で勉強をして、後悔しております。 正しくは、高校生活を捨てて、ですが。高校生活と言えば、部活動です。当然ですが) 誰一人として、私に、勉強を期待している人は、居ませんでした。 逆に、野球に期待していた方々は、数知れず。 どう思われますか? >勉強って自分で本を買えばできるじゃないですか。 別に。それができれば無理に行かなくても。(特に、高校から先) >学校はどういう意味がありますか? 意味も何も、義務教育は日本国民の三大義務の一つなのです。(辛抱して行く義務があるのです。 ただ、それだけ)
- 戦艦ながと(@nagato1946)
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日本国民すべてに基礎学習を行って、学力を底上げすることでしょう。 あなたように自己学習ができるまでになったなら、学校は意味がないかもしれませんが、あなたが本を読むことができるのも、学校に通ったおかげのはずです。そして世界の識字率を見れば、それが国の発展度と比例しているのはあきらかです。 あとコミュ能力とストレス耐性を付けるために学校は意味があると思います。天才数学者とか天才棋士みたいなとんでもない才能が無いのであれば、社会の色んな人と一緒に働かなければならないのですから。
- sakuranbojam
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貴方には意味が無かっただけで 意味があったと言う人も沢山いると思います。 それだけのことです。
- JP002086
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「勉強」と言う単語だけで言いますと、私は働き始めて後輩や部下が出来た時から「生きている間、なにごとも勉強」と言っています。 簡単に言うと・・・・ 「生きていくための知識・情報・方法」を知るためには、自分から望まなければ、何も覚えることは出来ません。 何かに興味を持ち調べる事によって、雑学にもなりますし仕事に役立てる事も出来ますし、初めて会った方に話しかける際、どの様な話題を振るか?とか学校では習わない事を学んでいく必要が有るからです。 独り暮らしをしていると、食事の用意するための素材を集める際に、一か所のお店ではなく同じ系統のお店に行って、値段のチェックをします。 チェックをしていくと「あれ? もしかして・・・・」と色々気付くことが有ります。 学校を卒業しても、何かに興味がわくと色々学ぶ事が出来ます。 学校についてですが、3世代の親兄弟夫婦とその子供達が住んでいる様な家なら「集団生活」や「集団行動」の基礎以外に、学校の教科について色々学べるので、その様な生活環境でしたら必要ないでしょう。 ただ、核家族の場合は、その集団生活と集団行動の基礎を学べないので行く必要はあるでしょう。 後は、友人作りと言いますかコミュニケーション能力の基礎作りで利用させてもらう。 大学については、本当に「専門的に、これをやりたい! 他の受験生を蹴落としてでも!」と言う方以外は、行かなくても良いのでは?と思っています。 正直、大学の数と募集定員を今の半分にしても良いとさえ思っています。
- 5mm2
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自分で調べてみたら。
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