- 締切済み
価値観の違いはインターネットが生んだ?
高齢者と話していると恐ろしい程に価値観の違いを感じるのですが、ネットもない時代は老若男女同じ屋根の下で生活していた訳ですよね。 私も昔は何とも思わなかったし、なにより何も知らなかったというか、テレビや雑誌くらいしか情報源がなかったので、新しい価値観なんて生まれる余地もなかった気が。 そういう時代に独自の価値観を持ってた人って、ある意味本物だな。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
みんなの回答
- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
明治維新の前後を生きた福沢諭吉は、自らの半生を回顧して「一身にして二世を経るがごとし」と言いました。維新前後の世の中の激変は一人の人間が二回分の人生を生きたようなものだというのです。このように世の中が激変する際には当然価値観も大きく変化します、というより逆に価値観が激変したから世の中が大きく変わったという方が適切かもしれません。 このような大変化は1945年の敗戦の前後でも起きています。また現代のある程度以上の年配者は「アナログとデジタル」という「一身にして二世」を生きているとも言えるでしょう。 もちろんこうした大変化の渦中では、新しい価値観にいち早く適応できた進歩派もいれば、昔の考え方からなかなか抜けられない守旧派もいて、新旧の価値観の争いがあったことは明らかです。インターネットなどない時代から価値観の大きな違いはあったのです。 ただし回答者は「価値観の違いはインターネットが生んだ」とは思いませんが、インターネットが「自らの価値観に合う情報だけを手に入れるツール」として 活用(悪用?)され、多様な価値観を広く認め合う寛容な社会とは逆にの方向に世の中を向かわせるのではないかと懸念しています。 インターネットで「自分とは違う視点」、「自分の発想に欠落している部分」ではなく、「自分と同じ意見」「自分と同じ発想」だけに触れて喜んでいたのでは進歩も成長もありません。自分を強くさせるのは「ダメな味方」ではなく「優れた敵」だからです。
- ts0472
- ベストアンサー率40% (4485/11068)
私は関心も無く 周りに居ませんが 昔は百合族とか薔薇族と言われて雑誌や漫画も出回っていましたから インターネットは無関係です 情報拡散してしまう方が如何なものかとも感じます そういう意識のまま歳をとっても変わらない 歳をとった分発言を気にしなくなったのかも知れませんね
- ts0472
- ベストアンサー率40% (4485/11068)
長く生きていて インターネットが普及しはじめたのは1995年頃 インターネットの無い時代でも人それぞれの価値観の違いはありましたよ 人生の半分も経っていない 今の高齢者同士の会話でも裕福に育った家庭と 一般サラリーマンの家庭で育った場合は違いますし 身近な現実ではない 高齢者なりの暮らし 理解できない部分も多々あって普通とも思います
- sknbsknb2
- ベストアンサー率38% (1158/3030)
価値観って、時代の流れによって変わっていくものなので、時代に即してアップデートしないと、昔の価値観のまま取り残されるということなのだと思います。 インターネットによって世界の距離が縮まった結果、情報伝達のスピードが上がって時代の流れ自体が加速され、価値観の変遷スピードも上がり、取り残される人はあっという間にはるか彼方ということなのかも。
- tsu09377
- ベストアンサー率0% (0/0)
今私たちが話せる昔の人は テレビ新聞ラジオという限られた情報源からしか情報を得られなかったので、 当時のテレビや新聞ラジオによって作られた概ね同じ方向性の何系統かの価値観しかありません。 ネット社会を生きる私たちは テレビや新聞をほとんど見なくなったので、そう言ったマスなものによってつくられた価値観からは自由になりました。 一方でインターネットによって拡散されるマスな価値観の方がよっぽどマシに見える価値観もたくさん身につくようになりました。 結局、年寄りと言ってもテレビや雑誌が簡単に手に入る時代を生きている人たちは、誰かの思惑によって作られた価値観の中に生きていると言う点で、私たちと対して変わりません。 本物の価値観というのは文化と交友関係、周りの人間関係から生まれるので、江戸時代以前にしかありません。悲しいですね
- citytombi
- ベストアンサー率19% (1721/8628)
若者は人間に育てられたのではなく、ネットに育てられたので、当然ながら性格も認識も思考も違うでしょうね。 親は亡くなっても困らないが、スマホが無くなったら困る・・・ そういう感覚ですから。
お礼