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ぼっちちゃんにすらなれないぼっち達

「ぼっち・ざ・ろっく」のぼっちちゃんって『ぼっちでコミュ障だけどギターだけはプロ級』の設定です。そしてXやブログ、そして検索欄に『ぼっちちゃん 現実にいたら』と表示される等、ぼっちちゃんみたいな人が現実世界にいたら(若しくは周りにいる)という書き込みが多いです。 しかしながら、ぼっちちゃんはぼっち界の中で頂点の人だと思います。 そもそも ・挫折率の高いギターで挫折せずに中学生の頃から毎日6時間1人で練習していける集中力や根気 ・SNSに投稿していいね数の増減にメンタルがやられない精神力 ・SNSで高評価を得ている のはかなり凄いことだと思います。 もちろん中学生の頃から練習してきたぼっちちゃんの努力の結晶だと言えるのですが、現実世界にはこのぼっちちゃんラインすら到達していないぼっち達(自分含め)が一定数います。 『自分だけがチヤホヤされたい』から『みんなで大きな世界を目指したい』(あやふやですがこんな感じだったと思います)に変わっていくストーリーなのですが、そもそも『自分だけがチヤホヤされたい』にすら満たされてないぼっちが沢山居ると思うんです。 ぼっちちゃんはギターがあるからいいけど、この人達はどう生きればいいのでしょうか? ぼっちちゃんみたいなコミュ障陰キャで話しかけられるとオドオドしてまともに会話できない人が、更に自分の武器すら無いのは生活保護しかないのでしょうか?

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  • izumi044
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回答No.2

美大生は子どものころから絵が得意で、自信をもって美大に入学します。でも、いざ入学したとなったら、自分と同程度の人間がごろごろ。それ以上の人間もごろごろ。 本物の天才に出会って、才能の差に圧倒される。 そして初めて「自分てたいしたことがないんだ」と気づく。 一般人からしたらはるかに才能がある人でも、打ちのめされるのが現実です。 そして、打ちのめされても諦めなかった人が、業界で生きていける人たちです。 だからといって、全員が天才なわけじゃありません。二流、三流だって当然います。それでも、業界に籍を置いていることで、ちやほやされることはあるはずです。 ちやほやされたいのなら、まずは自分の周囲の中で比較的得意なことを伸ばすこと。 家族の中、友人の中、クラスの中、ネットの中。 そこからステップアップしていくしかありません。 才能なんて、ある日突然開花するものじゃありませんから。 一段登れば、その分周囲にもうまい人が現れます。 もう一段登れば、さらにうまい人と出会います。 それでも「認められたい」という気持ちがあるなら、ぼっちちゃんのようになれると思います。 でも多くの人は、そのずっと手前でチャレンジせずに諦めませんか? たった一度躓いただけで諦めませんか? よほどの天才でない限り、才能も最底辺からスタートです。 この当たり前をまず受け入れられるかどうか。 できると思えるかどうかが、今いる環境から一歩外の世界へ踏み出せるかどうかの別れ道になるのかもしれませんね。

doremifaso123
質問者

お礼

> ちやほやされたいのなら、まずは自分の周囲の中で比較的得意なことを伸ばすこと。 家族の中、友人の中、クラスの中、ネットの中。 そこからステップアップしていくしかありません。 才能なんて、ある日突然開花するものじゃありませんから。 名言ですね!! > よほどの天才でない限り、才能も最底辺からスタートです。 この当たり前をまず受け入れられるかどうか。 できると思えるかどうかが、今いる環境から一歩外の世界へ踏み出せるかどうかの別れ道になるのかもしれませんね。 この言葉が1番気に入りました! コピペしてスマホのメモ帳の『心が折れそうになったら見る名言集』にリスト化しときます! 回答ありがとうございました!!

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  • eroero4649
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回答No.1

>現実世界にはこのぼっちちゃんラインすら到達していないぼっち達(自分含め)が一定数います。 一定数どころか、99%の人はそういう人たちですね。 >そもそも『自分だけがチヤホヤされたい』にすら満たされてないぼっちが沢山居ると思うんです。 あたしゃぼっちじゃないけれど、「自分だけがチヤホヤされた」なんてほとんどないですよ。おばあちゃん子で祖母が活発な人だったのであっちこっちに連れ回されたので、未就学児のときはおばあちゃんたちにチヤホヤされた記憶はありますけどね。 だいたい自分だけチヤホヤされたいって、オタサーの姫かよ・笑。 >ぼっちちゃんはギターがあるからいいけど、この人達はどう生きればいいのでしょうか? 普通に生きればいいんですよ。なにせぼっちの99%の人がこれといった才能もないままぼっちなんだから、みんなそういうもんだと思えばその「ぼっち・ざ・ろっく」はファンタジーなんだなと思えるじゃないですか。 最近はそういうのがあるか知りませんけど、ひと昔前は「コミュ障の僕がなぜか沢山の女の子たちに囲まれる状況になって、どういうわけか美少女たちにモテモテ」というアニメがやたらとあったじゃないですか。あれはモテないコミュ障の青少年(とおじさん)の夢を叶えるファンタジーですよね。それを見ながら自分をその主人公に投影してモテの疑似体験をするというわけです。 それと同じで、その主人公に自分を重ねて「実は輝いた自分」の疑似体験を味わうのも悪いことではないと思います。誰もがヒーローに自分自身を投影してキラキラの疑似体験をするんですよ。港区系キラキラ女子のアカウントをフォローしている人たちもそうですよ。そんでその港区系キラキラ女子も実はキラキラは偽装だったりするんだから。まあ本当にキラキラしてる人はわざわざ見せびらかさないよね。 それに「声優に死ぬほど詳しい」など、世間からほとんど評価されない部門に傑出した能力を持っている人もいるでしょう。そういう人は能力はあるけど世間からチヤホヤされることが全く期待できないわけで、それならそんな能力があってもなくてもほとんど意味はないわけです。そういう哀しい人もいますよ。

doremifaso123
質問者

お礼

> 一定数どころか、99%の人はそういう人たちですね。 そうなんですか!? > だいたい自分だけチヤホヤされたいって、オタサーの姫かよ・笑 オタサーの姫しております笑 > それに「声優に死ぬほど詳しい」など、世間からほとんど評価されない部門に傑出した能力を持っている人もいるでしょう。そういう人は能力はあるけど世間からチヤホヤされることが全く期待できないわけで、それならそんな能力があってもなくてもほとんど意味はないわけです。そういう哀しい人もいますよ。 これめっちゃ分かります!! ちゃんと社会的に評価される分野に興味持ちたいのにー…っていうモヤモヤありますよね 回答ありがとうございました!