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作曲家

日本人の作曲家というと明治以降しか出てきませんが、江戸時代以前には職業としての作曲家は存在しなかったのでしょうか。

みんなの回答

  • Reynella
  • ベストアンサー率51% (550/1068)
回答No.3

はい。 明治に成る前、日本の歌や曲は「楽譜」というものがなく、口承・口伝に基づいて、次の世代へと伝えられてきました。そして、それらはある特定の一人だけが作ったというよりは、その一派、一門、共同体、等全体によって形成されたものも多いですね。さらにその伝承された歌や曲は、別の人によってアレンジがされて変化、進化して今に伝えられているものもあります。 さらに、殆どの場合、曲を作った人、人達が演奏することになっていたので「職業としての作曲家」は存在しなかったといえるでしょう。 ヨーロッパでも、専業作曲家はそれほど歴史が古くはなく、奏者や宮廷楽長兼任が多かったようですが、クラウディオ・モンテヴェルディは1582年に出版譜を出し、やがて作曲に専念したため、この人を最初の「専業作曲家」という説があります。

  • A88No8
  • ベストアンサー率52% (836/1606)
回答No.2

こんにちは >日本人の作曲家というと明治以降しか出てきませんが、江戸時代以前には職業としての作曲家は存在しなかったのでしょうか。 ご質問が西洋音楽ならば、その通りです。 明治政府が西洋の文化を取り入れて作から人間扱いして貰えるように海外留学を積極的に進めて西洋音楽を取り入れました。 邦楽であれば、明治以前より出雲阿国の時代から既にあったはずです。 ただ、演者と作曲家が同じであるので演者の名前で知られているのでしょう。 邦楽の楽譜は、師匠から直接口頭で間(ま)などを教えて貰うための物で楽譜だけでは演奏できません(間が持たない)m(__)m

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (415/1290)
回答No.1

作曲する人はいましたが、曲を売って生計を立てていた、プロの 作曲家はいなかったです。 著作権の概念が無い時代ですので、本や絵と違って、曲が売れる なんて発想がなかったと思います。 プロの作曲家はベートーベンが最初の人と思います。 ヴィヴァルディも印刷した楽譜に番号を付けて売っていた様ですが 生計を立てていたとはいかないですので・・・ ハイドンやモーツアルトに比べてベートーベンの作曲数が 少ないのは、駄作と一曲でも評価されれば生計出来なくなる からと思ってます。

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