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天正大地震と徳川家康について
もし天正大地震が起きていなかったら、徳川家康は、豊臣秀吉に軍事的に制圧されていたという有力な説がありますが本当ですか?徳川家康は、運が良かったのですか?
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こんにちは たしかに、天正大地震が起きていなかったら、豊臣秀吉が徳川家康を制圧していた可能性は非常に高いと考えられます。 秀吉は、天正10年(1582年)の「本能寺の変」で織田信長を暗殺し、天下人となりました。その後、秀吉は四国・九州・中国を平定し、日本統一に近づいていました。家康は、小牧・長久手の戦い(1584年)で秀吉と対立しましたが、その後は秀吉に臣従し、豊臣政権の重臣として活躍していました。 しかし、天正12年(1584年)に、秀吉は家康征伐を計画しました。秀吉は、家康の領地である尾張・美濃・伊勢に大軍を送り込み、家康を降伏に追い込むつもりでした。 ところが、天正12年9月2日、京都・伏見の地を震源とする天正大地震が発生しました。この地震は、畿内・東海・関東地方に大きな被害をもたらし、秀吉の大軍も大きな被害を受けました。 地震の影響で、秀吉は家康征伐を中止し、和睦に転じました。このことで、家康は秀吉の軍事的制圧を逃れ、豊臣政権においても自身の地位を固めることに成功しました。 このように、天正大地震は、徳川家康の運命を大きく変えた出来事でした。もし地震が起きていなかったら、家康は秀吉の大軍に敗れて降伏し、豊臣政権の下で二流の存在に甘んじていた可能性が高いと考えられます。 ただし、家康が運が良かったという見方は、少し単純すぎるかもしれません。家康は、天正大地震以前から、豊臣政権においても一定の影響力を保持していました。また、家康は政治家としても優秀で、豊臣政権の下でも着実に実力を蓄積していました。 もし天正大地震が起きていなかったとしても、家康は豊臣政権においても重要な存在になっていた可能性は十分にあります。しかし、地震によって秀吉の軍事的圧力が弱まったことで、家康はより大きな発展の機会を得ることができたと言えるでしょう。
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- 薫子(@kao-ruko)
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天が味方したのでしょう。
- gunsin
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有力な説の出処は、歴史バラエティ「どうする家康」ですか? 歴史の事実を知る者はいません、事実かも知れないし脚本の古沢良太 さんの推量に過ぎないかも知れません、事実は大地震が有ったと言う 事だけです。 #1さんの回答に言い尽くされてます、徳川家康は太平洋から 日本海にまたがる領地を持った大大名です、北条とも姻戚で 同盟を結んでいます、その両雄がぶつかれば双方に大きな痛手を 受けます、頭脳明晰な両雄なら家康が秀吉の臣下になる選択は 自然の流れと思います。 ドラマとしては在り来たりで面白みに欠けまると脚本の古沢良太 さんは考えたのでしょうね。 「天下を取る」は響きが良いので多くの文筆家が使用しますが、 軍事力で政権を奪っても、その後、国の運営をどうするかの 或る程度の青写真を持っていなければ、収拾がつかなくなり 新たな混乱の始まりとなるだけです。 木曽義仲の事例を戦国大名達を知っていたでしょうから。
お礼