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日本による朝鮮半島の統治

いまさら聞くのは恥ずかしいのですが、日本による朝鮮統治というのは今の北朝鮮も含まれていたのでしょうか。日本と朝鮮との戦争はあったのでしょうか。日本から解放されたのに南北分裂したのも不思議です。

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  • fujic-1990
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回答No.2

 日本が統治したのは朝鮮全体です。  戦後日本が手を引いた後、ソ連が占領した北方の地域に北朝鮮が建てられ、アメリカらが占領した地域に成立した大韓民国が対立し、互いに相手を征服しようとして「朝鮮戦争」が始まりました。  お互いに「あっちが先に攻めてきた」と言っている由。  常任理事国のソ連が理事会に欠席したのを幸いに、国連軍(実態はアメリカ軍)が南側救援に派遣され北朝鮮を追い詰めたのですが、中国共産党が人民義勇軍を派遣して押し戻しました。  劣勢に怒ったマッカーサーは「原爆を落とせ」と提言してトルーマンから「もう必要無い」と拒否されて解任されるなど、一進一退があり、北緯38度線あたりで膠着してしまったので、そこを臨時の堺目として「休戦協定」が締結されてこん日に至っています。  つまり、朝鮮戦争は休戦しているだけで、まだ終わっていないのです。  日本は参戦しませんでしたが、国連軍の求めに応じてトラックや食料その他を輸出して大いに儲けて、戦後復興に役立てることができたそうです。  警察予備隊・保安隊を経て、自衛隊ができたのもそのころです。

32tarako53
質問者

お礼

ありがとうございます。 今の日本は幸福とはいえませんが、一時期、急成長できたのは運が良かったのですね。

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  • staratras
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回答No.4

まず高校の日本史教科書の記述を長くなるがそのまま引用します。「詳説日本史」(山川出版社 2002年文部科学省検定済) 「日露戦後の国際関係」  日露戦争後の日本は、戦勝で得た大陸進出拠点の確保につとめた。まず1905(明治38)年、アメリカと非公式に桂・タフト協定を結び、イギリスとは日英同盟協約を改定(第2次)して、両国に日本の韓国保護国化を承認させた。これらを背景として日本は、同年中に第2次日韓協約(注1)を結んで韓国の外交権をうばい、漢城に韓国の外交を統括する統監府を置いて伊藤博文が初代の統監となった。  これに対し韓国皇帝は、1907(明治40)年にオランダのハーグでひらかれた第2回バンコク平和会議に密使をおくって抗議したが、列国に無視された(ハーグ密使事件)。日本は、この事件をきっかけに韓国皇帝を退位させ、ついで第3次日韓協約を結んで韓国の内政権もその手におさめ、さらに韓国軍を解散させた。それまでも植民地化に抵抗して散発的におこっていた義兵運動は、解散させられた韓国軍の元兵士たちの参加を得て本格化した。日本政府は、1909(明治42)年に軍隊を増派して義兵運動を鎮圧したが、そのさなかに前統監の伊藤博文が、ハルビン駅等で韓国の青年民族運動家安重根に暗殺される事件がおこった。日本政府は憲兵隊を常駐させるなどの準備のうえにたって、1910(明治43)年に韓国併合条約を強要して韓国を植民地化し(韓国併合)、漢城を京城と改称してそこに統治機関としての朝鮮総督府を設定して、初代総督に寺内正毅陸相を任命した。朝鮮総督は当初現役軍人に限られ、警察の要職は日本の憲兵が兼任した。  総督府は、地税賦課の基礎となる土地の測量・所有権の確認を朝鮮全土で実施したが(土地調査事業)、その際に所有権の不明確などを理由に広大な農地・山林が接収され、その一部は東洋拓殖会社や日本人地主などに払い下げられた。(満州関係の記述へ続く) 注1 日露戦争中の1904(明治37)年に結んだ第1次日韓協約では、日本が推せんする財政・外交顧問を韓国政府におき、重要な外交案件は事前に日本政府と協議することを認めさせた。 「冷戦体制の形成と東アジア」 (中国情勢の記述に続いて)この間の朝鮮半島では、1948年、ソ連軍占領地域に朝鮮民主主義共和国(北朝鮮、首相・金日成)が、アメリカ軍占領地域には大韓民国(韓国、大統領・李承晩)が建国され、南北分断状態が固定化された。(引用終了)  これを予備知識として回答しますと、 ○日本が統治したのは、現在の北朝鮮の地域も含む朝鮮半島全体です。 ○朝鮮半島にある国家としての韓国(朝鮮)と日本の戦争はありません。ただ韓国軍の元兵士らが起こした義兵運動で武力衝突が起き、双方にかなりの死傷者が出ています。 ○南北に分裂したのは第2次世界大戦後(日本の統治からの解放後)のアメリカとソビエトの対立によるものです。  なお、韓国併合に関して、日本の朝鮮半島の統治をすばらしいことのように美化したり、逆に現在の価値観だけで一刀両断に切り捨てたりすると実態が見えなくなるおそれが大です。当時の史料にもとづいて当時の人々がどう考え・どう行動したかを謙虚に理解する必要があります。  韓国を保護国化→併合しなければならないと考えた当時の日本人の考え方と、国を失った韓国の人々の感情の双方を正しく理解することが大事だと考えます。また「地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く」という歌を詠んだ啄木のように、日本にもかの国の人々に同情的な人がいたことも考えておく必要があります。

32tarako53
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど、その時のいろいろな立場や感情を考慮しないと実情をつかめないようですね。

  • mekiyan
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回答No.3

日本と朝鮮半島全体は、朝鮮が統治してくださいと国会で決め、お願いしてきたからです。戦争に勝手での統治ではないです。統治をも、まったく日本の一部とし、一切の差別も区別もなしで。朝鮮の国王や貴族も日本の皇室に迎えています。もちろん、日本国軍隊にもかなりの数の上級軍人を採用しています。 日本が敗戦で、親分がいなく朝鮮半島では、思想の異なる二人が大喧嘩(朝鮮戦争)を始め、南北に分かれてしまい、今の2023年で戦争状態で、休戦中なだけです。

32tarako53
質問者

お礼

ありがとうございます。 上級軍人に採用された人たちの意見も聞きたかったですね。もうほとんど亡くなっているでしょうが。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8467/18126)
回答No.1

日本による朝鮮統治というのは今の北朝鮮も含まれていました。 日本と朝鮮との戦争はありません。 日本から解放された後,アメリカとロシアのそれぞれの占領地域を統一することはできませんでした。

32tarako53
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうでしたか。日本は、ロシアが入ってこなかったので分割されなかったわけですね。