droitegaucheのプロフィール
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フランス在住32年の音楽家兼作曲家(クラシック)。
- 登録日2006/08/30
- 音大生は、ドレミファソラ「スィ」ド と歌いますか?
音高、音大では、歌う時に ドレミファソラ「シ」ド ではなくて、 ドレミファソラ「スィ」ド と発音するのが普通でしょうか? 普通というより、「シ」ではなく「スィ」と発音するように注意されたという話を聞いたので、むしろ「スィ」じゃないといけないのでしょうか?
- Il a un je ne sais quoi d'antipathique
Il a un je ne sais quoi d'antipathique この文がよくわかりません 恐らく、 je ne sais quoiで一つの男性単数名詞と機能しているのでしょう 彼にはわたしがいけすかないところがある などという訳で・・・ このje ne sais quoiは他の文でも使われるんですか? この文だけの固定表現かなあと 文中にいきなり、でてきたらたぶん読めないと思います
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- noname#83506
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- 最も日本的な作曲家、最も日本から遠い作曲家は?
私個人的には、モーツアルトは日本に1番遠くて、ドビュッシーが1番近いと思うのですが。最も西欧的、もっとも異国(特にオリエンタル)という極端です。この点に関して、ご意見を伺いたく思います。 この問題定義にはいろいろ思うところがあります。 そもそも「日本的」っていうのはなんだろうか?通俗的には、山水や侘び寂び幽玄、あるいは江戸伝統民芸工芸演芸の世界、そのものから受けるイメージの世界と言うことを、多くの人は持つのではないでしょうか。すくなくとも、一般の日本人ならば、どこかにそういう思考回路が流れていますし、そういうものを想像できますよね。 クラシックを聴く場合もそういう土台をどっかに持って聴いてています。そのとき、日本的なものから遠いものを聞くのと、近いものを聞くのに、なにか情動が変化しないだろうか?と感じます。 私は、どうも独逸墺太利を中心とする、クラシック音楽の中核的流派(そして最も売り上げも多い分野だと思いますが)、クラシックと言えばまずイメージする主流(バッハモツベトブラブルマラ等)が、日本とは非常に遠いところの存在に思え、なにか疎外感、親しみにくさを感じてしまうのです。もっとも、違う文化のものを聴くんだから、そんなもの取り払って聴けばいいという切り替えができればいいわけですが、どうもお茶漬けから離れられないんでしょうかね。なにか、どこかに日本(あるいはオリエンタル)な響きを西欧の音楽に発見すると、非常に惹かれるものがあります。 もちろん、モツがアジア的でない?というのはもちろん時代背景、彼が背負っている生存条件が深いです。それはもちろん個人の責任ではありません。ドビュッシーが同時代の同地域に生まれたら、やっぱり当然歴史上のドビュッシーではなかったでしょうから。 そういう意味で、一般的に、あるいは個別的に、日本(オリエンタル)をその中に感じるクラシック音楽、その要素をほとんど想起できない音楽という問題に関して、最も遠い作曲家、近い作曲家ということを質問しつつ問題定義させてもらいたいと考えました。 どうでしょうか?
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- クラシック・オーケストラ
- garcon2000
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