totorimokomoko の回答履歴
- 優しさとは何か
こんにちは。質問をご覧くださり、ありがとうございます。大学2年の女子です。 私は、近年優しさとは何かについて考えたとき、ある結論に至りました。私の結論は、「優しさとは、他人へ気を配ることで自己満足を得る、一見利他的に見えて実は利己的なことだ。だから誰かのためになにかをする、というのは、誰かのためになにかをするという自分の中の理想像を叶えるための手段に過ぎず、それは結局自分のためにしている。だから、これは他人に対して優しいことだという時には、常に自分のためにしているから、相手に恩着せがましく優しくしようなどと考えてはいけない。そもそも優しいということ自体が利己的なので真に思いやりのある行為は絶対にできない」というものでした。 これに気づいた時から、私はいままで他人に優しくしようと思っていたことは全て偽善であり、結局は自分の自己満足だったのだと思いました。なので、決して自分は他人のためなどと考えず、他人が嬉しくなるようなことも、自分がよく見られるためだとか、その笑顔が嬉しいんだとか考えながら暮らしてきました。 しかし、本当に最近になって、他人に優しくすることは本当にエネルギーを使うことなのだと知りました。そう考えていたうちに、私は人に優しくできなくなっていたみたいで、配慮ができないことも増えました。(優しいということ言われることも多々ありますが、配慮が無いと言われることも多々あります。) 誰かに優しくするということは、例えそれが他人からよく見られたいとか他人の笑顔がみたいとかそういった利他的なものであれ、他人にエネルギーを使うだけの心の余裕がある器の大きい人ではないかと思いました。 それで、その考えに沿って考えると、最近私は器の非常に小さな人間だと思ってしまいます。しかし、優しさは利己的なものだ、という考えが抜けず、自己嫌悪に陥っています。 どなたか、この「優しさとは利己的だ」という考え方のおかしな点を指摘してくださらないでしょうか。 長文失礼いたしました。最後までお読みくださり、ありがとうございます。
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- noname#228265
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- 破壊的なエネルギーと創作
これまで、様々な創作活動をしてきましたが最近になって自分の本心をごまかしきれなくなってしまいました。私は 何かをつくるということが心底嫌いだということです。 キャンバスに″絵″を描くことは心底したくないけど、キャンバスにおもいきり絵の具をぶちまけてぐちゃぐちゃして破って投げることなら毎日していたい。何らかの形にしようと彫刻をすることは心底したくないけど、心の叫びのまま、衝動のままにノミをふれるのなら毎日していたい…と、こんな感じなのですが、もちろんこれではただの目も当てられないゴミにしかならず… なにも作りたくないのに、なぜか私はどうしても何かを作らねばならないと思うのです。 創作や、表現することと、破壊的な方向にしか向かないエネルギーを両立させることなどできるのでしょうか? あるいは、破壊的なエネルギーを創作することに向ける方法はありますか? ″なにか″生み出さなければ、形あるものを創らなければ。という強迫観念のようなものにずっと追われ続けています。自分のなかにいるエネルギーの化け物に喰われそうです。 かなり危ない文面なのは自覚してますが(^_^;)、どんなことでも構いませんのでアドバイスを頂けたらと思います。よろしくお願いします。