dantenotureのプロフィール

@dantenoture dantenoture
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  • 登録日2012/05/03
  • 性別男性
  • 職業会社員
  • 年代40代
  • 都道府県福岡県
  • ホワイトデーのお返しにがっくりしちゃいました

    バレンタインには手作りチョコと、彼の好きなDVDの限定BOXをあげました それに一緒に、「ホワイトデーおねだりリスト」→こんなお花が好き、こゆうピアスが欲しいな、こんなレストラン連れてってくれたら嬉しい、 みたいのを手作りチラシを同封したんです 以前指輪の件もあって、みなさんのご意見を参考にさせていただいた作戦!だったんです 当日、彼が家に来てくれて、くれたのは違うお花とカットケーキでした あれ?メッセージカードとかアクセは…?・? 「チラシ見なかったんだ~?」と聞いたら 「こゆのはキモチでしょ」と笑われちゃいました  >< くれるだけまだ良い!とか  値段じゃない!  とのご意見は分かります、分かるんですけど ○万円に数千円… 1ヶ月時間があったのに… 1年中お花屋さんにあるごくごくありふれたお花なんだけどな… 枯れて、食べてなくなるものもいいけど カタチに残る身に付けられるアクセ… ってモヤっちゃうんです >< 彼は自分のバースデーにはずいぶん前からおねだりアピしてきてたので じゃああたしも♪って思って アピってみたんですけど   泣>< 男性、女性 双方のみなさんからみて どう思われますでしょうか???

  • 私の性格(感覚)は、そんなにおかしいですか

    先日、こんなことがありました。 内の子供(3歳)が、私のノートにサインペンで落書きをしました。 そのノートは、まだ使っていないまっさらのノートでした。私は、以前から自分の健康状態を管理するために「健康管理ノート」なるものを書き続けています。子供が落書きをしたノートは、そのためのノートでした。 子供に落書きをされてしまったからには、そのノートはもう使えないと思いました。私としては、使いたくない。やはりまっさらのノートに書きたいですからね。ちなみに子供が落書きをしたページ数は3~4ページくらいです。 それで、家内に「このノートに将太(子供の名前)が落書きしたから、もう要らないよ。これは将太の落書き用に使えばいい」と言いました。 その翌日、夕飯時に家内が突然口を開き、おもむろにこの件について自分の気持ちを語り始めました。 「悲しい」というのです。何が悲しいかというと、私が子供が落書きをしたノートを要らない、と言ったことが悲しいというのです。 「私(家内)なら、子供が落書きをしたことを、むしろほほ笑ましく思えるし、そこにほのぼのとしたものを感じるので、私ならそのノートを使う」と言いました。落書きの上から書くか、落書きしたページは飛ばして書くかはともかく、とにかくそのノートを要らないなんて言わない、と言うのです。 そして、私のことを「そのノートを使いたくないという気持ちは分かるけど、それは○○(私のこと)の特徴で、潔癖症だから」と言います。 出来たらそのノートを使ってやって欲しいけど、それを私に言っても無駄だろうから言わないし、そんな私の性格(感覚)は治らないだろうから、と言います。 ただ、家内としては「それが悲しいという気持ちを分かってほしい」ということです。 それを聞いて、私は「あ~、なんだか割り切れないというか、よく分からないというか、困ったもんだ」と思いました。また「この人(家内)は、難しい人だなあ」と、少し嘆息しました。 家内が「悲しい」という気持ち自体は、理解できます。 しかし、そのノートを使ってほしいとまで言われると、それは私には無理だとしか言えないのです。 どうしてそこまで言われるのか、と釈然としない気持ちになります。 私のことを「潔癖症だ」と言うことも、ちょっと言いすぎではないかと思います。 家内からすれば、私の性格(感覚)は世の中の標準からずれている、と言っているように聞こえます。 自分の健康を管理するためのノートだから、まっさらのノートを使いたい(落書きされているノートは使いたくない)と思うのは、そんなにおかしいことですか。 私と同じように思う男性は、けっこう多いと思うのですが。 まあ、性格(感覚)の違いということだと思いますが。 でも、家内が「出来ればそのノートを使ってやってほしい」ということは、自分の価値観を相手に押し付けていることになるのではないですか。 ひとそれぞれ性格も違えば、感覚も違うし、価値観も異なるものです。 それを、自分の価値観と同じ価値観を持てと言われても、「ちょっとそれは違うんじゃない。しんどいよ」と言わざるを得ません。 大事なのは、相手の性格や感覚や価値観を認め、相手は「こういう人なんだ」と相手を丸ごと受容することではないかと思います。 その上で、お互い擦り寄れるところは擦り寄り、歩み寄れるところは歩み寄り、お互い納得できる接点を出来るだけ増やす努力をすればよいことだと考えます。 世の中のすべてのカップルで、お互いの性格、感覚、価値観がまったく同じというカップルなんて、ほとんどいないのではないでしょうか。 よくお互いの性格の相違とか、価値観の相違とかいう理由で離婚するご夫婦がいますけど、(よっぽど水と油のように相反するのでなければ)お互いが相手を受容する態度さえ持っていれば、離婚にまで発展することはないように思えます。 いまのところ、私は自分の性格(感覚)が特別おかしいとは思いませんし、それを変えようとも思いませんが、家内の言うことも理解は出来るので、少しづつ改められる範囲内で改めたほうがいいと思えることについては改めようか、と迷っているところです。 長々と書いてしまいましたが、こうした問題についてどう思われますか。 どう感じますか。 参考までにお聞かせ下さい。 よろしくお願いします。