taratatoのプロフィール
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可能性があるとしたら、ツルマルツヨシでしょう。 去年の有馬の時点では、両馬の実力は互角だったように見えます。 (もっともテイエムは古馬になって大きく成長したからこそここまでライバルに差をつけているわけですが…) 体質の弱いところがある馬ですが、故障してから、早い時期に有馬1本に照準を合わせて調整してきたのも好感がもてます。 テイエムのように連闘による疲労がない分だけここは有利かと。 また、僕が直接見たわけではもちろんありませんが、関係者間ではかなりの好馬体だとの評判らしいです。 メイショウドトウは、お互い意識しあっていた天皇賞ではあの大差だし、JCではメイショウは自分のレースが出来、テイエムは他の多くの有力馬から総マークを受けた状態でも勝ち切りましたから、もう勝負付けは済んでいる感じです。 トップロードは…だめでしょう。秋天の負け方は良くないです。サッカーボーイ産駒は4歳中に大方の成長を終えて古馬になっての上積みは少ないタイプですし。それにいろいろ予定も狂ってボロボロですね。 最後に… こんな稚拙な予想を長々と書いちゃってどうもスイマセンでした。
- 登録日2000/12/21
- 大学に受からなかった。
高3の女です。家政学部住居学科志望でいくつかの女子大を受験した結果、全部不合格でした。 滑り止めの(言い方が悪くなってしまいますが…)短大は受かりました。 兄が浪人したということもあって親は私の浪人を許可しません。私自身も浪人は考えていません。 短大の入学手続きはしておいて、まだ出願の間に合う大学を探して受けることも可能ですが、試験が終わってから気落ちしてしまい全く勉強してません。 短大に入った場合は短大卒業後の編入を考えています。 ここの過去の質問を見て、編入学がかなり狭き門であること、編入できたとしても全ての単位が認定されないこと、また、入学当初は編入するつもりでいても気持ちがたるんでなんとなくそのまま卒業する人が多いという事もわかりました。 ちなみに昨年の資料を見ると私が合格した短大から付属(?)の大学への編入希望者27人中24人が大学へ編入しています。他大学へ編入となると話は全く別だと思いますが…。 不合格ってことは自分の努力不足なんだから、きっぱり諦めて短大に入学してまたそこからスタートすればいいじゃん、とも思ったりしますが、まだはっきりと気持ちがフッ切れません。 でも募集人数の少ない3月入試に受かる自信もなく、今から1ヵ月受験勉強続けて結局また落ちて短大に行くぐらいなら、3月日程は諦めてキッパリ短大に行くって決めて今からの春休み、バイトするなり遊ぶなりした方が利口なんじゃないのかなぁとも思ってしまいます。 自分がどうしたいのか。短大じゃダメなのか。今やるべきことは何なのか。何が何だかわからなくなって、ここ数日ダラダラ過ごしてしまっています。早く気持ちを切り替えたいです。 長々とすみません。自分でも甘えたことを言っているように思うので、厳しい意見でもかまいません。アドバイスお願いします。
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- koppamijin
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- 法科大学院の申述書(ステートメント)
法科大学院を受験しようと思っているのですが、申述書を提出しなければなりません。 今までこのようなものを書いたことがないので、書き方がよくわかりません。決まった書き方はないとおもいますが、一般的にはどのように書くものなのでしょうか?小論文と同じ書き方で良いのでしょうか? 内容面ではなく、全体的な文章の流れ、順序などをお教えください。ちなみに「なぜ、どのような法曹をめざすのか」等について書きます。
- 小論文における人の生命の価値
ある予備校の小論文の模試でこのような問題が出されてから考え込むようになりました。その問題とは、、 「健康増進法の施行によって私鉄の駅のホームが全面禁煙になったことに対する賛否ひついて」でした。 まず、他人の吐いた煙草の煙によって受動喫煙の被害に遭い肺がんになれば死亡する可能性があります。つまり受動喫煙の問題は人間の生命に直結する問題なのです。 他方、禁煙にすることによって喫煙者の煙草を吸う権利が奪われたりします。 ここで比較して考えると、受動喫煙の問題は人の生命という最高の価値に関することなんだから、全面禁煙もやむをえないという結論を取るとします。 さて、ここで質問なのですが、「人の生命を上回る価値は世の中には存在しない」という考えについては理由付け、論証が小論文を書く上では必要でしょうか?人の生命というものは最も大事なものなんだというのは当たり前過ぎて理由を書くようなことではないのでは、というふうに思ったのですがどうでしょう? ある分野での小論文では公共性というものが大事だと言います。この公共性をもし世の中全体の利益というように考え公共性にそった結論をとるなら憲法の個人の尊重に抵触する氣もします。 人の生命健康よりも喫煙者の煙草を吸いたいという権利の方が優先するんだ、と考えた場合「なぜなのか」ということは書く必要あるのでしょうか?小論文上人の生命を上回る利益、価値は世の中に(少なくともこの戦争もない日本国内においては)存在しうるのでしょうか? もし、ここで喫煙者側の権利が非喫煙者の生命健康よりも優先すると考える方がいたらその理由を教えてください。