streeeeem の回答履歴
- 感情の起伏が激しい彼女
付き合って1年半の彼女がいます。 彼女は、感情の起伏が激しく、2,3ヶ月おきくらいには落ち込んだり、些細なことでも怒ったまま音信不通になるんです。 機嫌のいい時や元気な時は、二人でデートをして、ずっとくっついていたりして、仲良く幸せな時間を過ごしたりします。 また、メールもほとんど毎日してます。。 が・・・元気の無い時・落ち込んでいる時は「何もできない自分が嫌いになる」「自己嫌悪になった」「放っといて欲しい」と言ってメールも返信して来なくなってます。 また、デートに誘っても「いやだ、会いたくない」と拒否されます。 今現在そんな感じでメールの返信もほとんど無く、2週間ほど経っております。^^; 私は、ありのままの彼女が大好きなんです。 会社の人間関係で悩んだり、色んなことを抱えてしまいがちな彼女なので、そんな時も少しずつメールしたりしてます。 会社も同じなので会ったりした時は「いつでも話をしようね」って、話したり、メールしておりますが。 こんな時、女性の心理はどうなんでしょうか? 焦らず今まで通り彼女を見ていてあげればいいのでしょうか? 落ち込んでいる時はメールもしたくなくなりますか? 正直なところ、彼女の気持ちが見えなくなる事もあって、不安があります。 質問ばかりで申し訳ないのですが、特に女性の方にご助言いただけると嬉しく思います。
- どうしても人と比較してしまう
18歳男、高校3年です。 私はどうしても他人と自分を比較してしまうのですが どうすればこの考え方を改善していけるのでしょうか。 他人を見下したい気持ちなんてありませんし 優越感に浸りたいとも全く思っていません それでも自分が劣るのではないかという不安がどこかにあり 比較してしまっているのではないかと思います。 そんな事はない、自分だって価値ある人間だ。 といつも言い聞かせていますが、よくわからなくなります。 自分を責める事も良くないと思いますし、他人にぶちまけるのもそうです。 だからこそ、よくわからなくなって何もかもが嫌になってしまう事が多々あります。 人が嫌になったり、自分が嫌になったり。 小学校の頃サッカーをやっていて、足が遅いのがトラウマでした。 入団試験などで必ずあるタイム測定が嫌で仕方が無く 一度、泣きじゃくって試験を受けに行くのを拒んだそうです。 (私はあまり覚えておらず、親から聞きました。) もうその事は気にしていないつもりですが、その頃からどこかで他人と自分を比較しているような気がします。 皆さんの意見を聞けたら嬉しいです。 宜しくお願いします。
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- roso22
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- ホテルで「一人で」泊まると言っておいて勝手に人数増やすのってありですか?
こんにちは。 今日ふと思ったのですが、ホテル予約で「一人で泊まる」と言っておいて、実際に数日は一人で泊まっていたとしても、滞在中に例えば旧友に会ったとか、恋人ができちゃったとか、そういった理由で一緒にホテルで過ごすことは可能なのでしょうか? 部屋はそのままでもいい? 部屋を変えたらいい? わかりませぬ。 お教え下さい。よろしくお願いします。
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- heygibson
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- 人生に意味などないことは明らかで、それ故そろそろ死のうかと思っているのですが
とても下らない質問です。 お忙しい方は、どうぞ無視してくださって結構です。 さて。 こんな状況を想定してください。 ある理系の高校生がいます。 唯物論的世界観を有する彼にとって、世界は極めてシンプルです。 彼にとっては、科学を前進させること、人の役に立つ技術を開発することのみが、究極的には唯一、真に意義があると思われる命題です。 なぜ彼がこれほど単純な世界観を有しているかと言えば、それは彼がそれまで「自分」や「世界」について真剣に考えたことが一度もなかったからです。 幸い彼は、数学、物理などの理系分野にそれなりの才能があったので、世間では一流大学と呼ばれている大学の工学部に進学します。 大学生活の中で彼は、「哲学」と言うものに初めて出会います。 これがあらゆる不幸の始まりです。 「哲学」と言う名のウィルスは、少しずつ、しかし確実に彼の精神を侵食し始めます。 彼は「哲学書」という書物を読み漁るようになります。 この「哲学」という名の凶暴な悪性ウィルスが、彼の薄っぺらな世界観をすっかり転覆させてしまうのに、それほどの時間はかかかりませんでした。 彼はたちどころにそれまで信じて疑わなかった、「人生の意味・目的」というものを失います。それどころか、今後二度と以前のような意味での「人生の意味・目的」を得ることはできないことを確信します。 これはもちろん彼にとって、受け入れがたい苦難でした。それ故、彼は何度もそれらの書物を読み直し、そして考え直しました。しかし、どのように考えても、存在論的な基盤の上にある西洋哲学からは、人生の意味や目的を見出すことは不可能のように思われました。そして、それを承知でなおもそれら解決不可能な問いを探求し続けるのが哲学だと言うことに、ようやく気付いたのです。 人生の無意味、さらに言えば、存在の無意味に気付いてしまった(と少なくとも当人は思っているようです)彼にとって、残された道は二つしかありませんでした。素知らぬ顔で、残りの人生を過ごすか、あるいは無意味、無目的に耐えながら日々を過ごすかです。不器用な彼がとることができる道は、後者のみでした。それ以来彼は、数年にわたりシューシュポス的な日常に耐え忍んできました。 もちろん、取り付かれてしまった病を克服する努力はしてきました。 論理を超えたところに光があるのではないかという淡い希望にすがりながら、彼は宗教書や文学を読み漁りました。あるいは西田幾多郎や鈴木大拙などと言った東洋の思想も読みました。 一時はそれらによって、絶望を打ち破ることができたように思われました。 しかし、ダメでした。 3年前に、彼はうつ病と診断されてしまいます。 それ以来、投薬治療や認知行動療法などを続けますが、そんなものが効くはずはありません。彼にはそれが誰よりもわかっていました。何故なら彼は、本当はうつ病ではないからです。うつ病だったらどんなに楽だろうかと思いました。うつ病ならば、抗鬱剤で快方に向かいますが、デンマークの哲学者が名付けた彼の病の特効薬は「死」しか存在しないからです。 それ以来彼は、死に対する憧れを抱くようになりました。 夜眠りについて、そのまま一生起きることがなかったらどんなにいいだろうかと思いました。ただし、自殺を実際に行動に移すだけの勇気も、気力も、彼にはありませんでした。 もちろん、彼が自殺を思いとどまってきた理由は他にもあります。それは、家族、友人の存在です。彼が自殺をすれば、友人は猛烈な自責の念に苛まれ、両親は今後一生立ち直れないであろうことは、彼にはわかっていました。それゆえ彼は、それらの人々の為だけになんとか生きているといってもいい状態でした。しかし、忍耐にもそろそろ限界が来てしまったようです。 彼はそろそろ死のうかと思っています。 もちろん彼の死に一握りの悲劇的要素もないことは、彼自身が誰よりも承知しています。 何よりも無意味な死、犬死です。 しかし、彼の悩みが彼固有のものであると思うほど、彼はバカでもうぬぼれてもいません。 それどころか、数え切れないほど多くの人が、同じような問いに悩み、それを乗り越えてきたことを知っています。しかし、数千冊の書物から彼が導き出された結論は、それらの問いを乗り越えることとは、結局妥協によってのみ可能だと言うことです。 ただし、これは彼の結論であって、あなたの結論ではありません。 彼は、レヴィナス風に言えば、少なくとも「他者」を「私」ではない「他者」として認識するだけの謙虚さは持っているようです。 そこで彼は、インターネットと言う媒体を使って、「他者」にたずねてみることにしました。 彼の病を克服する「知恵」を、教えてあげてください。
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- kensenden
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