uzanneoのプロフィール

@uzanneo uzanneo
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  • 登録日2008/12/08
  • 後悔しない選択は?…家族のそばにいるのがいいのか、夢に向かって踏み出すか。

    九州に住む大学4年の女です。 私の家族は、母、父、私の3人家族です。 父は私が高校生のとき仕事のストレスでうつになり、何度か転職しましたが、 今年の春、再びうつ状態になって仕事をやめ、ずっと家にいる状態です。 母がパートで必死に稼いでいます。 私は高校時代は美術部で、北海道の大学の、ある美術の先生にあこがれていました。 しかしこうした家庭の事情もあり、家は出られない、美術はお金がかかるということで、 実家から通える文系大学を選びました。 でもあきらめきれず、心の底では、いつかあの先生の下で学びたいと思っていました。 そんな中、北海道に縁ができました。 ずっと好きだった先輩と、就職先が決まってから付き合うことになったのですが、 彼の就職先が、北海道だったのです。 彼氏に相談したところ、僕のところに来て勉強したらと言ってくれました。 そして必死で勉強し、大学院を受け、合格しました。 来春から彼と一緒に住み、北海道の大学院に進むことになりました。 在学中、あるいは卒業後に結婚するつもりです。 しかし、今になって、再び家族のことが心配になってきました。 大学院を受ける前も、父がこんな状態で、母を一人置いていっていいのかと、 かなり葛藤したのですが、これも夢を叶えるためと決心して受験したのです。 でもやっぱり、卒業が近くなってきて、不安になってきました。 母は行くなとは言いませんが、行かないでほしいとは言っています。 結婚も、自分たちで決めなさいと言いつつ、早すぎると思っているようです。 私が出て行けば、父はますます働く気をなくすだろうし、 そうなったら母はもっと働かなくてはなりません。 もしそれで母が倒れたら?などと、悪い想像をしてしまいます。 夢を叶えて、立派になった姿を両親に見せたい。 だからこそ今はさびしい思いをさせても家を出る…と思っています。 家を出る決断について、どう思われますか? 彼氏にも相談していますが、客観的な意見をお聞きしたいです。 ご意見よろしくお願いいたします。

    • noname#81614
    • 回答数8
  • 硫化水素自殺問題について

     硫化水素による自殺が問題になっており、警察当局は硫化水素による自殺サイトの規制を始めるそうですが、私は自殺の一手段を禁止?しただけであって、自殺を防ぐ為の根本的な解決にはならないと思います。    はっきり言えば、自殺願望がある人は、硫化水素を禁止しても他の手段で自殺します。マスコミは、硫化水素による自殺をやたらと取り上げていますが、そもそもこれほどまでに自殺の件数が増えたことに対しては何も問題視をしていません。    硫化水素による自殺を防ぎたいだけであって、自殺そのものをなくしたいと取り組んでいないと感じるのは、私だけでしょうか?  硫化水素だけでなく、自殺そのものを少しでも減らすためにはどうしたらいいでしょうか?

  • いじめ

    長年いじめを受けてきて、外(戸外のことではなく人の間)へでることが怖くなってしまった人間は、もう朽ち果てるのをじっと待つしかないのでしょうか?どんなことがあっても親や家族だけは助けてくれる、わかってくれると思っていたことすらも裏切られた者は、もう生きていく資格はないのでしょうか?いじめをうけても、それでも人間は信用しよう、誰かの役にたつように、思いやりを忘れてはいけない、人としてあたりまえのことは忘れてはいけない、そう思い続けてきましたが、ことごとく裏切られ、思いやった結果は逆手にとられ・・・、ことごとく否定され、とことん疲れています。親が亡くなっても葬儀にいくこともおそらく、いえ絶対にありません。 もう何かをする気力がなく体を動かすことすらもどんどんできなくなってきました。もう誰も信じられないものは生きていてはいけないということでしょうか?ほんとうに疲れました。存在してはいけないのでしょうか?

    • dooooi
    • 回答数27
  • 古典派作品の価値について

    私の感覚なので、聞き流していただいても結構なのですが、どうも昔から「古典派」作品に対する接し方というのがわかりません。世間ではこれこれの名作があって聴くべきである、という評判の古典派作品が多くあるわけですが、それらから受ける印象は、ことごとく退屈凡庸という印象です。それは、骨董的価値しかないのではないか?現代人の音楽的に肥えた耳にはもう通用しないのではないか?という疑念です。対して、名もない近現代作品がそれに比してなんと色彩豊かで叙情的かつ刺激的音楽的なんだろうと思っています。ただし、機能和声内にとどまっている近現代作品に限るのですが(この辺も私の限界を感じています)たいていの近現代曲はすばらしい哲学と手法に満ちているように聞こえてしまいます。 主に、近代的和性や、楽器の技術的更新によるのだと思います。 この感覚というのを、クラシックを聴く者として特殊と割り切っていいのか、一種の普遍的パターンなのか、それとも是非矯正すべきなのか、どうしたものでしょうか?