シニアライフ
- ワイドスクランブルの天海祐希さま?
今日4月25日のワイドスクランブルを見ていたら、終わり間近に木村拓哉さんと番宣で、天海祐希さんも共演で出ていましたが、イタいぐらい老けて初老の女性に見えました。 年齢を調べたら56歳とのこと、めちゃくちゃ老けていませんでしたか?
- 仕事を父の不幸で5日間休んだのですが出社時に!
父の不幸があったので仕事がありましたが 5日間のお休みを頂いて 葬式や各種手続き、休養をとっていました。 5日間休みを頂いたので出社時になにかお菓子とか もっていって配ったほうがいいかなーと思うのですが、 今回、父の葬式では家族葬だったのでお菓子とか香典返しとか なにも用意していないので葬式っぽいお返しみたいな お菓子とかはなにもありません。 ふつうに近所のお店でなにかかって ご迷惑おかけしました。と出社したときに配ればいいでしょうか? 父が不幸があった忌ものから食べ物なんてもらっても嬉しくないでしょうか? 渡した瞬間、塩まかれたりしないですよね? どうすりゃいいでしょうか?
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- シニアライフ
- tasukete2018
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- 悪魔を見たことがあるんですけど?
幼いとき悪魔を見たことがあるんですけど高校の時には黒い騎士になって高校の頃成長した姿を見ましたもう一度あの悪魔の力がほしいんでますけどどうしたら会えますかね命はささげるつもりです
- 年寄りのデジタル拒否で困ってます
「庶民的」な情報システム運用を職業としているモノです。 いろいろなサークルやグループ、小さな企業を相手に活動しています。 SNSによる情報共有が活用されていますが、中高年はとにかくデジタルデバイスに批判的な反応をするので、いつも困っています。 中高年だけのグループならばいいのですが、 幅広い世代が混在するグループではかならず問題になります。 具体的にいうと、 中高年は電話や、せいぜい、eメールを活用したがりますが、 若年層は、いまどきeメールで情報共有なんて・・・と拒否反応します。 わたしも昭和の人間ですが、さすがに、eメールは不効率で困ってます。 高齢者でも元技術者などビジネス最前線で活躍されていた方などは、 SNSをとても便利に活用されていますが、 ほとんどはダメです・・ その最大公約数を 取るべき、との意見が多そうですが、 私は心を鬼にして、将来の発展も加味して、 次世代の人たちの利益を優先すべきで、少数弱者は切り捨てるべきだと思っています。 でないと長い目で見たとき、 組織全体の利益を考えたとき 大きな損失となるからです。 あと私の経験からですが、 お年寄りは視力や能力の問題はあるものの、 ほとんどは食わず嫌いで、 いざ、便利で楽しいことがわかると、 あれだけデジタル拒否していたくせに、 ケロっと忘れて夢中になるパターンが非常に多いです。 (孫や友人との交流、株取引、e-tax、ペイ支払い、クーポンなどなど・・・) いかがでしょうか? ※具体的にご意見お願いします。 ※感情論はご遠慮ください ※短文でお願いします ※みなさんにお礼します ※BA必ずだします
- 寿命を40歳までの世界
乳幼児死亡を含めない老衰での寿命が40です 老害と呼ばれる老廃物を早めに取り除き新人代謝を上げればよりよい世の中になるとおもうんですよね どう思いますか?
- 物を失くす 物を捨てる
認知症の父親が、よく物を失くして分からなくしたり、勝手に人の物を捨てて分からなくしてしまい大変困っています。 まず、よく物を失くしてしまう点についてですが、これまで失くしては困る物を2年連続で失くしています。 その度に同じ品物を買いに行くため、不経済極まりないです。置き場所を決めていても、半年から1年が経過した頃に元の置き場所から行方が分からなくなっています。認知症のため、どこに置いたか覚えておらず家中探しても見つかりません。 認知症以前に基本的に物を大切に扱う気持ちがなく、失くしたらまた買えばいいという考えが根本にあります。これは、父親の若い頃からその傾向が見られました。 次に、勝手に人の物を捨てて分からなくしてしまう点についても、上記と同じ事が言えます。 捨ててもまた買えばいいと思っているため、人の物であっても不要だと判断すると勝手に捨ててしまいます。認知症のため、その判断も衰えて曖昧になっており本当に自分勝手な行動に手を焼いています。 これらの点について、今後生活していく上でどう気を付けていけばよいのか、ご助言を頂きたいです。 認知症の介護をされた事のある方やそうでない方にも、是非ご意見を参考にさせて頂きたいです。 ご回答よろしくお願いします。
- 神奈川県内での高齢者の温泉施設での付添サービス
神奈川県内での温泉施設利用時の高齢者付添サービスというのは、あるのでしょうか? 温泉入浴時の『転倒防止のための介助』のみで良いです。 身体の洗浄等は、不要です。 高齢の母親が変形性膝関節症のため、歩けますが階段の昇り降りに介助が必要で転倒リスクから温泉に行けません。 息子なので女湯に入れないのです。 色々調べたのですが、寝た切りに近い人のサービスは、あるようなのですが転倒防止介助のみの『ちょいサポ?』的なサービスが上手く見つけられません。 情報がありましたら宜しくお願い申し上げます。
- 高齢の母が施設に。1人では抱えきれないです。長文
先月、1人暮らしをしている高齢の母が腰を傷めました。 免許の更新に行こうと思って道に迷い、長時間運転していたことが原因のようです。 母はもともと出歩くのが好きでみんな困ってましたが、子供達に面倒をかけたくないからと、必死ではありました。 私は離婚しパートと内職で生計を立てています。 弟は奥さんと別居し1人暮らしです。 妹は県外に嫁いでいます。 ですので誰も母を引き取ることはできませんでした。 高齢なのに車の運転をしていたのも、買い物や通院を子供たちに頼みたくなかった、という事でした。 最初はちょっと腰を傷めただけですぐ治ると思っていたのですが、高齢でもあり、行動がしづらくなりました。 そこでショートステイに1か月行き、昨日一旦帰宅しました。 しかし介護度が3だということで、再度明日からショートステイに出かけることになっています。 そしてケアマネさんがその後の施設を探して下さり、続けて老健に行くことになりました。 今夜が住み慣れた家で過ごす最後の晩です。 もう家に帰ってこないそうです。 私のきょうだいは施設が見つかってよかったと、喜んでいます。私もそれはそうなのですが、本当に今夜が最後なのかと思うと信じられない気持ちです。 父が亡くなったのは3年ほど前です。 父母の飼い猫が家出したのは半年ほど前です。 あの家で少し前まであった日常が目の前に浮かんできます。 この思いが今、1人で抱えきれないでいます。 どうして母を引き取らなかったのか、というような非難は抜きで、この思いを少しでも軽くするのはどうしたらいいでしょうか?
- 高齢になって悟る
私自身の優先順位の生き方 般若心経は宗教共通の経典。日本語に訳し纏めてみた。 色即是空、空即是色「色と形のある物質や現像」 「この世全ての物が何も無いのである」 諸行無常「この世の全ての物が秒粍変化し同じ物は無い」 諸法無我「この世の全ての物が影響を及ぼし合う」 一切皆空「この世の全ての物が思い道理には成らない」 「空とは恒常な実体がないこと」 煩悩具足「生まれた時から逝去するまで、欲が身に纏わり付く」 上記を基準として人生の優先順位を考えてみました。 無職からの生活人生 第一優先:家族の生活の維持「主婦・主夫に徹する」 第二優先:家族の介護の維持「身内の介護に徹する」 第三優先:身心の健康の維持「自身の趣味に徹する」 その他外部からの諸行事参加「町内会・老人会・寺役・氏子など」 第一から第三優先の妨げになる諸行事は不参加し憂鬱を取り除く。 人生初めから空なのだから、わざわざ外部から諸行事を持ち込み 憂鬱になる事は無い。煩悩具足では日常の平凡な暮らしにおいて 必要最小限の欲は有ると思います。以上が私の悟りです。人それ ぞれ意見が御座いますが、面白く無いものは苦痛、面白いものは 健康。憂鬱な事は断れば良い今なら出来ます。若い頃は就職先で 上司に逆らわず、同僚には笑顔で、定年までのゴールを目指し耐 えてきました。もう良いでしょう我慢しなくても。 質問です。同じ考えの回答者様のご意見をお待ちしています。
- あなたのお父様のご逝去直前のエピソードは?
既にお父様が亡くなっている皆様に伺いたいです。 私の父は、昨年4月に世を去りました。健康状態は悪くなく長命筋であることもあって100歳近くまでは生きるのではないかと私は考えていましたし、実際に医療関係者の方で同じようなことを仰っていただいた方もいました。 しかし何かの検査で「癌があるかもしれない」という結果が出て、大病院でCT検査を受けたところ癌云々以前に気胸を発症していることがわかりました。息が苦しいと言いだしていた理由がわかりました。 手術で治療したのですが、別のところで気胸を発症、また手術。計4回手術を行ないました。 新型コロナウィルスの関係で病室まで見舞いに行くことができず、知らない顔ばかりが並んでいるところに閉じ込められていた父は認知症の徴候が見られ、それを理由に2度の転院がありました。 肺の病気なので気候が暖かくなってから退院ということを病院側は言っていたのですが、明らかに医療サービスとしての質は落ちて行っており、要は年寄りを死なせるための病院に送り込む作業に乗せられている、私はそう感じました。 そこで母と話し合い、私は「病院にいることで2ヶ月か3ヶ月か延命はするのかも知れない。しかしそんな延命には意味がないと思う。少し寿命が縮んでも、苦労して手に入れた家で知った顔の見守る中逝かせてやりたいと思う」と提案、病院側とちょっとした喧嘩にすらなりかけましたが1月に退院させて家に戻しました。 仏事には拘る母が購入した仏壇が今日(2024年2月3日)午前中に実家に届き、夕方の6時から僧侶による読経を行なっていただきました。ちなみにこれは故人の新居への入居をお祝いするというお経なんだそうです。 仏壇の納品から僧侶の到着まで時間がありましたので、父の最後の3ヶ月について母から話を聞いていました。 仮に母を「花子」としますが、3ヶ月の間起きている時間はほぼずっと「花ちゃん、ありがとう」「花ちゃん、大好きだよ」「花ちゃんで本当によかった」と言い続けていたそうです。 そして並んで寝るときには痩せこけた手を布団から出してきて「花ちゃん、手つないで寝よう?」というのが毎晩の行事みたいになっていたとか。 ここまでは既に聞いていた話なのですが、母がさらに詳しく話してくれたところによると昼間の時間、母は起きて動いていて父はベッドに寝ている状態で母を呼び、母の両手を自分の手で包みながらこう言ったそうです。 「花ちゃん、俺がいなくなったら、友達を沢山作って楽しく過ごすんだよ、そして、俺より長生きしてくれよ」 こんな話をしながら、母は改めて声を上げて泣いて「最後は本当に優しかった」と言っていました。 個人的には男性というのは老境になると怒りっぽくなるという印象があったのですが、自分の父親はそれとは真逆だったということを改めて知りました。 皆様のお父様は晩年どのように過ごされたのでしょうか。短気になったという方ものんびりした方もいらっしゃると思うのですが、どのような感じでしたか?併せて印象的なエピソードなどもあれば教えて下さい。
- 締切済み
- シニアライフ
- ShirokumaX
- 回答数5
- 夜見る夢のほうが現実より現実的という老人
後期高齢者の友人が、最近は夜見る夢のほうが眼が覚めている時と同じくらい現実的でしかも内容が豊かなので、夢のほうが現実的だと言っていますが、これは老化のせいでしょうか。あるいは時間を持て余しているようなので、生活が退屈だからかもしれないと思っています。
- 年金生活者の不安、精神状態について
いまは毎月給料をもらって、貯金もあり、社会保険も払えて、余ったら貯金するか、レジャーを楽しむ、という生活を送っていますが、 年金生活に入ると、そうもいきません。 もちろん、十分貯蓄をして、定年後もアルバイトをすることは必要でしょうが、 それでも いくらあっても、安心とはいえず、 何歳まで生きるのかもわからない。 しかも生きれば生きるほど 生活費、医療費などが必要になる、 という矛盾した不安に駆られつつ、生きていかねばなりません。 経済状況は人それぞれなので、さておいて、 年金生活を送られている方々、 そこらへんの「精神状態」はいったいどのようにして、 「正常」に保っているのですか?? 不安だし、楽しみも制限されて、先細りの人生、 毎日生きるのがつらくなりませんか?