文学・古典
- 平家のガギデガつまり「禿」(かむろ)の物語
平家の禿(かむろ)についてはよく知られていないようです。と言うよりそもそも禿なるものがほんとに存在したのかさえ分からないらしいです。とはいえ物語の題材としてはもってこいだと思います。なんといっても早い話平家の「ガギデガ」だからです。この禿を題材というより主人公にした物語をご存じではないですか。小説・映画・漫画・アニメ・テレビドラマ・紙芝居・YoutTubeなんでも構いません。ちょい役ではなく禿が主人公かそれに近い役割を演じているものです。
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- katakana1956
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- 乱心を装うハムレットのセリフの意味は
「美しさはまともな女の本性を売女にかえる力を持っている」とはシェイクスピアのセリフです。乱心を装ったハムレットがオフェーリアに向かって投げつける言葉。前後の関係からこの「まともな女」とは明らかにオフェーリアのことを言ってると思うんですがその意味はなんなんでしょぅ。当方の解釈ではこの前の場面でオフェーリアが父親(ポローニアス)にハムレット様とは身分違いだから諦めろ、と言われてほんとに諦めてしまい、それどころか知らず知らずにハムレットの真意を探るスパイの役割を演じさせられてしまう。「売女」とはそういう意味かと思うんですがどうでしょうか。当方ポップスとかいろいろな歌詞の解釈でずいぶん見当違いをこれまで皆さんに指摘されています。このシェイクスピアのセリフもなんとかその正確な意味をお教えいただきたいと思います。
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- katakana1956
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- 古文の一部についてお尋ねします
いざたまへ。 (さあ、いらっしゃい。) 質問: たまへは、「来たまへ」の略という説明があります。 調べると「来」が脱落したものと書いていたのもありますが、 そういう理解でいいのでしょうか。
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- blue_sky1016
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- いなばの白うさぎは悪党です
いなばの白うさぎの話、ご存じかと思いますがあの話がやたらと有名になったのは元はといえばウサギが人々にやたらと憎まれていたのが理由ひとつではないですか。大国主命は確かにやさしい神様です。しかしウサギという動物は昔から畑とかで人間がせっかく作った作物を荒らす、つまり食ってしまう悪い動物と憎まれていたのですよ。そのせいであのような物語がうまれたのでしょう。本来人々は憎たらしいウサギめがざまあみろと言いたくなる。しかし大国主命は逆にその憎たらしいウサギを助けてあげる、いう意外な話の展開。さすが大国主命はわれわれ人間とはが違うんだと感心して感動する、という結果になる。大国主命はよい神様ですしそれは変わらない。いっぽうウサギが作物を荒らす悪い動物で、人々から憎まれていたという事実は忘れられている。そうではないですか。それを知ってればあの話もよりよく理解できると思うんです。なお当方はウサギ大好きです。ミッフィーも好きです。
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- katakana1956
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- 古文の一部についてお尋ねします。
なかなかに人とあらずは酒壺になりにてしかも酒に染みなむ 質問1: 断定たりの連用形「と」ですが、下に続く語は とあり、とて、として のみと辞書に書いていましたが、 その認識でいいでしょうか。 質問2: 同じく断定なりの連用形「に」ですが、下に続く語は助動詞以外に に+接続助詞て・して に+あり(+敬語表現) ということでいいのでしょうか。 ---------------------------------------------------------------- 一文字をだに知らぬ者しが、足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。 質問: 「し」は副助詞という説明になっていますが、 いろいろ調べると 一文字をだに知らぬ者、しが足は十文字に踏みてぞ遊ぶ。 という文が多く、それであれば「し=其」「が=格助詞」 とも思えるのですが、どちらが正しいのでしょうか。 *メモp46,69
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- blue_sky1016
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- 枕草子の一部になります。
雪のいと高う降りたるを例ならず御格子まゐりて、 炭櫃に火おこして、物語などして集まりさぶらうに、 「少納言よ。香炉峰の雪いかならむ。」 と仰せらるれば、御格子上げさせて、 御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。人々も 「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。 なほ、この官の人にはさべきなめり。」と言ふ。 質問: 解説を読んでいると、白居易の歌を踏まえて御簾を上げさせた 清少納言のセンスを褒めているように思います。その中で、 雪が高く積もっているので、 御簾を降ろしたというのであればわかるのですが、 雪のいと高う降りたるを例ならず御格子まゐりて、 の「を」は逆接の意味で、 雪が高く積もっているのに、御簾を降ろしたという訳になっています。 なぜ逆接の意味になっているのでしょうか。
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- blue_sky1016
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- トロイの木馬 ラオコーンとトロイの市民
トロイの木馬、といってもネット関連用語ではなく、トロイ戦争の物語に出てくる元々のトロイの木馬の話です。誰でもトロイの市民たちはなぜあの木馬を城内に持ち込んだのだろうという疑問を抱きますね。少しは疑ってみればいいのに。だまされている、と誰か叫べばよかったのに、と思います。この場合トロイ戦争がほんとにあったかどうかなどと言わないでください。この話について何年か前ある評論家の方が「トロイの神官ラオコーンはその木馬が敵の謀略であることを見抜いた、しかしトロイの市民たちはその言葉に耳を貸さなかった。しかしトロイの市民たちが愚かでラオコーンが賢かったと言うわけにもいかない。なぜならラオコーンはそれまで一切戦に参加していなかったからだ。一方市民たちは戦に倦みつかれていてその戦をいっこくも早く終わらせてしまいたかったのだ」と書いてました。その評論家の何について述べた文章だったのか思い出せませんがこの部分がやたらと印象的で覚えているのです。するどい、と感心しました。結局このラオコーンは傍観者だったのです。傍観者ならいろいろ物もよく見えるのかもしれません。しかし傍観者ゆえに力や説得力はない。悲しいですね。 さて質問ですがこの神官ラオコーンとトロイの市民たちとの関係が人間の弱点をあまりによく物語っているのでなにかの近代・現代の歴史的事件に当てはまるような気がしてならないのです。。どうもそれが思い浮かばない。あるはずなんですが。もしありましたら教えて下さい。 ※ラオコーンの大理石の像は美術の教科書に載ってるかもしれません。彼の二人の弟子たちといっしょに大蛇にからまれているところ。あれはラオコーンが敵の謀略と気づいてトロイの市民に警告しようとしたとき大蛇に邪魔されたんです。大蛇はギリシャの味方だったんでしょうね。
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- katakana1956
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- 不死身のアキレウスの「評価」
「イーリアス」のアキレウスは不死身です。あのかかと以外は。そういう弱点はもっているにしろほとんど彼は不死身です。その不死身の彼が戦争でやたらと活躍してギリシャ第一の勇士と讃えられる。なんか変ですね。どうせ死なないわけだから活躍してあたりまえなのに、なぜでしょう。もっとも彼が強いのは死なないからではなく戦に強いからです。不死身なのは神の贈り物ですが、その戦士としての強さはほとんど彼が自身で獲得したものでしょう。だからその物語を読んでも彼の強さに不自然さを感じないのです。それはわかるのですがやはり疑問は残る。元々不死身ならその強さを少し割り引いて彼を評価すればいいのにと思うんです。「イーリアス」ではそれが逆に不死身なのは神の贈り物ゆえ彼の評価を逆に高めている印象があります。古代ギリシャでは戦において人間の力はもちろんですが神々の存在がより大きかったのでしょうか。
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- katakana1956
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- シェイクスピアは天才ですか
シェイクスピアは天才ですか。当方はモーツァルトが天才ということはわかります。トルストイが天才であることもわかります。現代の日本の作家を取り上げても三島由紀夫さんが天才であることはわかります。手塚治虫さんが天才であることもわかります。しかしシェイクスピアが天才といわれてもピンとこない。確かにその作品から人間について人生についていろいろ学べることは多いですが読んでいて「さすが天才」と驚くような箇所はこれまでひとつもなかったです。古典だから何冊か読んだようなものです。当方の文学的教養が乏しいためでしょうか。小説ではなく戯曲だからその味わい方がわからないのでしょうか。トルストイは「シェイクスピアが天才だというのは奇怪な幻想である」と言ったらしいですよ。どう思われますか。
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- katakana1956
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- 文豪ゲーテの評価
ドイツの文豪ゲーテの名作「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」のことですが、当方はこの作品についていけません。途中で読むのやめたのですが、それは内容が難解だったからではありません。よく覚えていないのですが物語の始めのほうに出てくる主人公ヴィルヘルム・マイスターの、ある女性との長い長いお話に耐えられなくなったからです。あの部分はあまりにも冗長です。ゲーテの天才を疑うに足りるほど冗長過ぎる文章です。むろんそれだけの作品ではなくやはり優れた古典と思わせる箇所も多かったと思いますが、ゲーテという人はおそらく(あくまで当方の推測ですが)偉大な天才詩人なのであって小説家としては一流半程度の才能かと思うんですがいかがでしょうか。
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- katakana1956
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- 「雪国」の世界にあこがれますか
「雪国」の世界にあこがれますか。もちろんあの川端さんの「雪国」のことです。川端さんがこの作品を執筆した頃に比べて今の新潟の湯沢温泉は様子がだいぶ違ってはいると思いますが、それでもその面影は残っているのではないでしょうか。当方はこの湯沢温泉には行ったことはありません。それだけに「雪国」の世界は当方の想像の世界にわずかながら光を残して存在し続けています。といってもそんなに執着してるわけです。 それほどの文学趣味は当方持ってません。そこでみなさんにお聞きしたいのですがこの「雪国」にあこがれて実際に湯沢温泉に行ったことのある方はいますか。もしいましたらそのときの感想とかをお聞かせいただきたいと思います。もちろん幻滅・失望も含めてです。どんな印象を持たれましたか。特に文字通り雪の積もった冬の湯沢温泉についてお聞きしたいです。
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- katakana1956
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- 読書感想文について。
こんにちは。 明後日提出の読書感想文があります。 こんなまじかまで残した自分も悪いと思っています。「自分で書け」と言われるかも知れませんが、手を貸してくださる方がもしいるならばどんな本でもいいので書いてくださると嬉しいです。本当にお願いしますm(_ _)m(規定は800字以上です。)
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- MIKEMIKE27
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- 太田道灌の山吹
「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という歌、これについてはいろいろ説明がありますが、当方はどういうわけかこの歌が「失恋」の歌に思えてならないです。七重八重と美しく咲く山吹が実を結ばないように私のこの恋も美しく燃え上がったがゆえに好きな人と結ばれなかったのだ、という気持ちが込められているようです。「なきぞ」は「無きぞ」と「泣きぞ」の二つの意味があると思うんですがどうでしょう。
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- katakana1956
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- 【わこう】平清盛への呼びかけ
https://www.youtube.com/watch?v=JODFcTV9eZc 上の平家物語ですが、 もくのすけが、平清盛のことを「わこう」と呼んでいますが、 「わこう」を漢字にするとどうなりますか? お願いします。
- 漢文得意な方お願いします!
宴梅道士山房 林卧愁春尽,搴帷见物华。 忽逢青鸟使,邀入赤松家。 金灶初开火,仙桃正发花。 童颜若可驻,何惜醉流霞。 この漢文の書き下し文、現代語訳を知りたいです。どなたかわかる方お願いします!